• ゲスト発言

第225回J.I.フォーラム 若者の政治参加を考える ー 政治を「自分事」にするために必要なこと ー  2016/06/27(月)開催
ゲスト
青木 大和 (政治活動家)

後藤 寛勝 (NPO法人 僕らの一歩が日本を変える。代表理事)

杉浦 正和 (芝浦工大付属柏高校 教頭)

関谷 昇  (千葉大学 法政経学部 教授)

原田 謙介 (NPO法人YouthCreate 代表理事)

水野 翔太 (名古屋わかもの会議 総合統括)

コーディネーター : 加藤 秀樹(構想日本代表)
    

【議事概要】第225回 「J.I.フォーラム」
「若者の政治参加を考える」
日:2016年6月27日
於: 日本財団ビル2階 大会議室
<ゲスト>
青木 大和 (政治活動家)
後藤 寛勝 (NPO法人 僕らの一歩が日本を変える。代表理事)
杉浦 正和 (芝浦工大付属柏高校 教頭)
関谷 昇  (千葉大学 法政経学部 教授)
原田 謙介 (NPO法人YouthCreate 代表理事)
水野 翔太 (名古屋わかもの会議 総合統括)

<コーディネーター>
加藤秀樹 (構想日本 代表)

<概要>
第225回J.I.フォーラム「若者の政治参加を考える」では、「若者の政治参加」のオピニオンリーダーと実際に活動している若者をゲストに迎え、選挙年齢引き下げを機に若者だけでなく老・壮世代も含めて政治を「自分事」にするにはどうすべきか議論しました。

加藤 今日のタイトルは「若者の政治参加を考える」です。来月の参議院選挙では、70年ぶりに選挙年齢が引き下げられて、18歳19歳も投票できる様になりました。若者の政治参加をもっと進めようと活動を行っている4人の方と、この道のパイオニアで、以前からずっと学校の中での議論や模擬選挙を続けられた杉浦さん、政治の基本を研究されている関谷さん。以上の6人の方々に今日は来ていただきました。単に選挙年齢が引き下げられた、若者がもっと投票に行くように、ではなくて、政治に参加することはもっと日常的なことだと私は思います。例えば、構想日本の事業仕分けも広い意味での政治行政参加ですが、マスコミはそんな認識を持っていません。今日は広い意味で政治を自分の事なんだと考える材料としていろんな話ができればと思い開きました。

杉浦 私の頃の教育基本法には政治的教養を子供達に身につけさせるという意味で政治教育をやるんだということが書かれてあるんですけど、現実的には色んなことがあって学校では政治的議論、現実問題を考えさせるような意味での政治教育、主権者教育は行われていなかったという現状があったわけです。学習指導要領にも、そういうことをやるなと、話が複雑になるから突っ込むなという事が書かれているわけですが、18歳選挙権が導入されるということで、ガラッと状況が去年変わりました。文部科学省はこれをどうするんだろう。中教審の議論によって新しい学習指導要領になるんだろうと思っていました。
現代社会、倫理、政治経済という科目があるんですけど、今度、新科目で公共という科目が設けられて、少なくともその中に当初は、多角的多面的議論をさせるということが書かれていたので、公共の中で現実の問題について議論をする、公共的な議論すると私は認識していました。それは間抜けな科目だと思っていました。私はそういう現実の論争、この論争は必ずしもやるべきだとは思っていませんし、そんなのは難しいわけですから。もっと簡単なレベルでの現実の時事問題、ニュースについて生徒が興味関心を持ってそこで生徒が疑問を感じたら議論をするように、もっと高いレベルになったら論争することがある。どこでもかしこでも安保法制の議論しろとか、ちょっとそれはおかしいんじゃないかと思っているのだけれども、いずれにしろそういう現実の問題を取り上げて議論したり論争したりすることが科目や授業の中で当然のように行われることが中核になるんだと思っていたら、どうも文部科学省の文章を見ていると、多角的多面的に考察させると書いてあるんですよね。自分の意見をもって、一応議論に参加させるということは書いてあるんだけど、現実的に言うと、多角的多面的考察は論争ではないんですよね。歴史とか地理とか、今の学習指導要領に初めて多角的多面的考察とかなり書かれるようになりました。前の学習指導要領には書かれていませんでした。ちなみに公民科の科目には書かれていません。それで今公民科の主権者教育で論争みたいなことを現実的な問題を取り上げようと言われているので当然そういうものが入って来るんだと思っていました。だけど、現実に我々が目にしているのは、論争なんですよね。多角的多面的考察と論争するということはちょっと違うんですよね。そのことをどうも文部科学省はあまり考えていない。正直言って学校や授業で、多角的多面的議論や問答なりをやってきていて、論争を扱っている人はほとんどいません。その辺の違いをきちんと認識していないんじゃないかと思います。模擬選挙にしても、現実の問題をたらしこむにしても、政党間の戦いなり、2つの立場の戦いなりを僕は扱うべきだと思っているので、そこと多角的多面的考察は違うから、もう一歩踏み込んだところで、そういうことを文部科学省が学習指導要領に入れていくような方向でないと、今の主権者教育が盛り上がった雰囲気がつぶされちゃうのかなという不安を正直感じています。

後藤 私は、「NPO法人僕らの一歩が日本を変える。」の代表理事をしていて、昨年の10月から内閣府の地方創生推進室の委員を務めています。地方創生の自治体計画を、ビックデータを分析してみていくということで、RESASという地域経済の分析システムがあるんですけど、その若者普及委員というものを務めています。私からは政治教育や学校現場における18歳選挙権による変化を今日はお話し出来ればいいなと思っています。
今回、2つ主張させていただきます。まず、18歳選挙権だけで終わらせてはいけないという事が一つ目の主張とさせていただきます。今回、18歳以下の有権者、新しい有権者は240万人増えたわけなんですけど、良く考えてみたらこれは人口の2%でしかないと思った時に、その2%の人がどう変わっていくか、それを私たちがどう支えていくのか、そこがすごく大事になっていくんじゃないかと私は思うんですね。一人一人の政治に対しての向き合い方や、社会との向き合い方を自分の気づきや発見から近づいて行けるようにすることが私の1つ目の主張です。
2つ目の主張は選挙年齢引き下げをきっかけに政治教育を整えていかなければいけないということです。衆議院何人とか参議院何人とか、国会の期日は何日とかいう枠組みの話、これだけではなくて、政治がどれぐらい身近で、自分がどういうことが出来るかという選択肢を学校教育でも教えることができるような政治教育を整えていくべきだと私は思います。それこそが杉浦先生のおっしゃっていた多面的な視点、多角的な視点だと思っています。多様な選択肢を学校教育の中で政治教育として作っていく、そして、18歳選挙権を機に、学校教育を通して社会の担い手、地域の担い手を小さなところから作っていくということが二つ目の主張でございます。
最後になるんですけど、僕も政治の議論がバチバチにできるかと言ったらそうではないし、でも18歳選挙権で、自分たちの国政や未来について考えろと言われていると思うんですけど、出来る人だけが議論してても仕方ないじゃないですか。だからそれを自分たちの言葉で落とし込んだり、自分の気づきとか発見をどれだけ意思表示出来るかがすごく大事だと思います。よく18歳や19歳がなんで私が投票に行かなきゃいけないの、私たちの1票で政治は変わるの、日本は変わるのって言っていると思うんですけど、その1つの答えは、投票する意思表示なんだと思います。自分はこう思っているというのを発する、発してもいいんだよという雰囲気を作る事が大事なんだと思います。

水野 今日は地域という視点から政治参画を考えていくということで少し話していきたいと思います。「名古屋わかもの会議」は年2回、全国の中学生から大学院生まで、名古屋に集結してもらって社会のことや地域のこととかをディスカッションしてもらうイベントです。
私たちはさらに1歩踏み込んで、話し合ったことを行政とかに上げていきたいなということを考えていまして、毎回、主義とか主張を市議や市長、企業の方をお呼びして、「こういう意見を持ってるんだよ」と伝えることをしています。1日型のイベントで、フィールドワークで生の現場を見に行ったりして、一定の知識を持ったりとか、ディスカッションをしたりします。
政治というものに対してすごく敷居が高いと思う人も多いと思うんですね。私自身もずっとスポーツをやってた身でしてなかなか政治とか社会の事に興味がなかったんですね。高校1年生の時に、名古屋市で「COP10」という会議が行われて、そこに興味があって行ってみようという気持ちがあって、行ったことによって社会とか政治とかに興味を持つようになったんですけど、そのプロセスとしてやはり自分達が地域とか身近な生活とかを考えることによって、社会とか政治につながっていく、これが持続可能な社会といいますか、担い手づくりができるのではないかと考えています。
私が「名古屋わかもの会議」でやっているものにしましても、きっかけを作りたいと思いまして、元々動いている人に対してこうやれよと言うのではなく、ちょっと何かをしてみたいんだけどどうしたらいいんだろう、小さいけど厚い壁のある人をターゲットにきっかけづくりをしていきたいと考えています。
「名古屋わかもの会議」で話し合うことで防災とか、町づくりとか環境とか国際とかはちょっと敷居が高いと思っています。地域という視点は自分達にとって最も身近な存在で、考えやすいと思うのですが、例えば、街灯が少ないとか、ごみがいやだなとか、自分たちの身近な生活からさらに社会とか政治につなげていけるのではないかと思います。こういうプロセスで自分自身考えていけたらいいなと思います。
伝えたいことが1つあるんですけど、多角的な視点から物事をとらえていきたいなと思っていまして、政治を考える上で、政治からぶつかるのではなく、もっと自分たちの身近な生活からぶつかっていくことによって、それに政治を繋げていっていけたらいいなと思います。

青木 高校生から活動しているのが唯一僕だけで、その視点でということだったので今日は来させていただきました。僕の2つ意見表明、今まで考えてきたこと見てきたことなどを話せたらいいなと思います。
NPOの代表を昨年の10月に辞任してから、世界各国を旅しながら若者政策だったり、世界各国の若者の動きを見てきました。日本の報道を見ているとすごい日本の若者は政治に興味関心がないと言われていますけど、世界各国を回ってきた中で、ちょっと違うんじゃないかなと思いまして、今日はその気づきをお話できたらなと思います。
香港での「雨傘革命」を渡航して現地で見たり、1月の台湾総統選も一週間ほど滞在して実際に若い人達にインタビューとか取材をした中で、結構面白い気付きとかがあって、最初は台湾や香港の人達はすごい熱狂しているな、政治にこんなに関心があるんだ、すごいなと思ったりしたんですけど、台湾の人に民進党と国民党が政権交代をして具体的にどのような政策を望んでいるのかと聞いたところ、彼らは一切政策の話をできなくて、政策よりも国民党と民進党が入れ替わることが大切なんだというような話をされて、意外と世界各国の政治の熱狂というのは、変わるというものが二つの選択肢にあるように思います。
台湾の事例だと中国大陸系が国民党で、台湾の本土が民進党で、その中でどう折り合いをつけていくか、その政局に対する熱狂がすごい強いなと感じました。それに比べて日本の若者たちは政治というものに対しての関心は低いのかもしれないんですけど、水野翔太くんが言ってくれたみたいに、当事者に落とし込まれた政策に関しては意外と関心があって、そこは日本が政局というより政策の部分を考えているのが長い目で見れば生きてくるのではないかと私は思いました。
日本の若者がこう政治的熱狂が低いんじゃなくて、それはマスメディアにとって報道しにくい分野なんじゃないかと、政局的な部分で声を上げるとなると、街頭に立ってデモをやるという絵面は分かり易いけれど、例えば、まちづくりについてコツコツやっているとなると絵面的には取り上げにくいじゃないですか。なんかその差異みたいのがあって、実は若い人達はそんなに差異はないんじゃないかなということが一つ目の気づきです。
二つ目の気づきとしては、そんな中で日本と世界各国の違いは何かなというのを見た時に、世界各国はやっぱり現場を率いている子たちが、実際は若い世代の政治家みたいなのが多い気がして、街づくりや環境とかに問題意識を持った時に、実際に政治で変えるために政治家に立候補出来るというのが、世界各国と日本の違いだと思っています。
私は、選挙年齢の引き下げの次は、出馬できる年齢、被選挙権年齢の引き下げを行うことによって、永田町や地方議会に若い政治家が増えることが、直接リンクしていく中で大切なのではないかと思います。

原田 「Youth create」が若者と政治を繋げるときに一番気を付けているのが、対話でお互いが会う場、話す場です。そしてもう一つが先ほどの水野君の話にも通じるんですが、もっと身近な政治のことについてやってみようよ、考えてみようよということです。
18歳選挙権あるいは学校現場での教育に関していえば、昨年の秋に全高校生向けに政治選挙を学ぶ副教本というものが総務省、文部科学省の作成で全国に配られています。これは選挙のことや選挙ルールについて学ぶものでは全くなくて、地域のことを知ってみよう、多角的多面的に考えてみよう、色んな議論をしてみよう、そういうことについて載っているものです。私自身もそこの執筆に関わりましたし、それに加えて学校での実践ということもやっています。そういう感じで色んな対話を、そして地域をテーマにした対話もやっています。
一番分かり易いのは若者と政治家が地域のことについて話し合うということです。別にここだけで対話するわけではなくて、普段政治の話を全くしない友達同士が話すのも面白いですし、そういうことも踏まえて色んなことをやっていますし、あともう一つ対話を紹介しますと、インターネットを使った対話の場作りも行っています。
今回、私から2つほど問題提起をさせていただきたいと思います。1つは担い手という部分、2つ目は場作り、担い手と場作りという単語を伝えて終わろうかと思います。担い手を考えた時に学校だけじゃない、私は学校家庭地域の3つだと話しているんですが、家庭でもっと話さないのか、お父さんお母さんが話せばいい、おじいちゃんおばあちゃんが話せばいい、逆に、授業で政治について学んだ高校生がお母さんお父さんに話せばいい、そういうことがもっと進んでいく必要があるんじゃないかなと思っています。そして、最後に家庭や学校でもなくて地域での担い手づくり、地域で一番面白いのが色んな人がその場にいるということ。色んな世代の人が集まる地域の場でそういう場作り、担い手をどうするか、これは場作りの話にも入っていますが、学校という場作りは少しずつ進んできた。家庭あるいは地域、色んな場の中で若者と政治を繋ぐということ。そして忘れてはいけないのが、政治は学ぶものでは絶対なくて、政治は関わる要素であるということを絶対に入れなければならないと思っています。友達同士で話してよかったね、政治の事学んでよかったねということじゃなくて、自分が関われるものがあるんだということどれだけ伝えることができるのかという話を今日はさせていただきたいと思っています。

関谷 今、若い方々の話を聞いていて、共感することが多々あって、それは少し引いたところからどう見えるのかということで話をさせていただきたいと思います。若者の政策、政治に関わらず、市民の参加ということがなぜこれだけ言われてきているのか。その背景としては明らかにデモクラシーの危うさということがあると思います。参加と動員は表裏一体だということです。それからデモクラシーのもう一つの要素は、ポピュリズムというもので、社会がある種のムードで動いていってしまう、色々な議論が繰り広げられて、何が問われているのか、ある意味では冷静な、ある意味では継続的な議論があってはじめて、色んな問題が見えてきて、あるべく方向性が見えてきて問える訳ですけども、あまり活性化することなく、何となしのムードで動いてしまっている。この危うさもあると思いますし、その中で特に排除ということと繋がってしまうような側面がある。特に、自分が持っているものを守りたいということが、逆に言うと他者に対する排除につながっていってしまう。市民イコール消費者と捉えられ、社会全体が効率性のもとに動いてしまっている。そして様々な議論、様々な批判というよりも一定の成果を出せばいいだろうという形で動いてしまっている。だから民主的なプロセス、議論を経ることが形骸化され、短期的な成果にいってしまっている。そういう中で改めてデモクラシーを考えていく、あるいはデモクラシーというもののある意味では原点を考えていくことがやっぱり必要ではないのかと民主主義の原点の一つが、直接制だと思います。
原点としての直接制は当事者へ接近していくということである。デモクラシーは直接制よりむしろ間接制、代表者が政治を行うということが自明の前提になっています。本人の思っている事を100%体現できる代表者はいないわけですから、どうしても代表する者とされる者の間には距離、乖離というものが生じる。だからこそ、どうやって当事者に接近していくかということなんですね。現場で何が問われているのかは、当事者の声を聞いていくことが非常に大切なことであって、そういうところから参加ということを考えていかないと、本質を見失うのではないかと思います。
政治と言うと先ほどの話にもありましたけど、政治をどう考えればいいのかということを学生からよく聞くのですが、それは暗黙のどこかで、与えられた言葉で語らなければならないとか、与えられた制度の枠組みの中で考えなければいけない、行動しなければいけないということをどっかで直感するんですね。だから言えない。逆に言うと、自分の言葉で語っていいんだ、自分の感性で表現していいんだ、自分なりの言葉で語って議論して行動していいんだ。そういう部分がもっと開かれていけば、硬直化している問題も柔らかくなっていくんだと思います。
それからもう一つ当事者性ということで、当事者の声を聞いていく、出していくということが大事で、これは先ほどの杉浦先生の話にもありましたように、議論すればまとまる可能性もありますけど、まとまらない可能性もあるわけですよ。ところがそういうことを念頭に置かず、一定の結論を導くような形で参加ということを考えていくと、冒頭の様にむしろ動員的発想ということになるわけです。議論するということは、討論することであり、討論はみんなが同じになるとは限らないということです。プロセスを経ることが議論をすることの意義であって、それをある一つの方向にもっていこうとする、安易な融合みたいなものを語ろうとすることが参加という意義を減勢してしまうと思います。
政治参加の直接制というのをどう生かしていくのかといったときに、直接制だと、民衆が暴走するのではないか、民衆は移ろうのではないかと言われます。大事なのはそういうことは内在しているが、表出していく場をどれだけ多様にしていけるかどうかということが参加の意義を広げていくことにつながると思います。補完性の原理の定義は、より狭い単位、小さな単位、個人や国家などを原点としながら、そこで出来ることは最大限尊重していく。そこからその単位、その規模、そのレベルでは、なかなか難しい課題については、そのレベルでの合意を得ながら、より大きな規模で進めていくということです。現場では、上で出来なかったことを下におろしていくような意味でつかわれる傾向が強いですが、これは間違えです。補完性というものの正確な定義は下の合意を積み重ねながらより上の単位の補完性をするということです。先ほどの話に結びつけると、共通点は、自分の身の回り、地域ということがキーワードでした。地域で様々な立場の人と、議論してやれることは膨らませていこう、そういうところから積み上げていこうということが、秩序の中で構築していく、若者の政治参加の裾野を広げていく一つの大きな契機になり得るのではないかと思います。

加藤 今、若者の政治参加の活動をされているみなさんは同じことを言っていて、地域という言葉です。地域から何をするか、ここはさっきの青木さんの話はすごくいい指摘だと思ったんですけど、熱狂の動きを考える前にまず内容である。日本の若者が特に優れているとも思わないですけど、だた、そういうある種の真面目さはあるのかもしれませんし、ある種の熱狂もネット上では危険な部分としてあるけれども、まだどっちにしても色々なものがあるわけですからね。その中で地域に着目してやっている。それが偶然なのか意図的なのか、分かりやすいからやっているのか分かりませんけれど、考える材料があったのか。若者だけではなくて、もっと我々全員が政治というものを自分事化する場への材料がひょっとするとその周りにももっとあるんじゃないかなと思いました。

杉浦 私は地域というものにあまり縁がなくて、私が考えているのは、生徒会です。学校の中で、学校の問題を生徒たちがクラスから学年からそして学校全体で議論を積み上げるような経験をどこまでやっていけるのか、そういう生徒会をきちんと育てて、それが政治教育とか地域に関わるとかそういうところに繋がっていくようなメカニズムをちょっと教育の中でしっかりと作っていかないとと思っているのですが、文科省には生徒会を育てようという観点が消えているように思えます。
先ほどの議論を聞いていて思ったのですが、私はいつも小さな主権者ということを言っているのですが、若者が政治意識、政治関心が低いと言われていますが、私はそうは思っていなくて、確かに私の中でもディベート、模擬選挙、模擬投票という場を作る、作らないと参加しないという意味では弱いのだけれども、そういう仕掛け、枠組みを作ると、結構真面目に参加するところがある。生徒会の会議で指導していく基本原則として、会議を何度もやるということです。何度かやっているうちにだんだん意見が出てくる気がします。例えば小学生でも、今の衆議院議員の人たちどう思うかと聞いてもいろんな文句を言うんですよね。だから政治関心がないといっても、彼らなりにはどこでどう情報が入ってくるか分かりませんけれど、本当に驚くんですよね。新聞とか読んでないのに、重要な情報は入ってきていて、そして彼らなりに、社会の現実や問題について、小学生なら地域の問題について考えているわけだから、そこを聞かなければいけないと思います。18歳選挙権でも、色々若者の意見を聞いてくれているからこれは非常に良いことだと思うけれども、マスコミはとりあえず18歳選挙権で話しているだけで、一人一人の子どもが、子供なりの未熟な知識でいいから、その意見を引き出す、刺激する、そういうことをやっていくことが大切だと思っています。

加藤 今のお話は多分、政治という言葉を狭い形で解釈していると思います。政治というのは、政党と政党の間のやり取り、あるいは、実際に選挙になって誰かを応援したり、直接言うから、学校で政治はタッチしないとかですね、政治に関してニュートラル、中立という言葉が普通に知的レベルの高い大人から出てくるわけですね。政治は生活というのはある意味当たり前で、自分のことをどうするか、人に任せて放っておいたらどうなるか。だからそこに帰っていろいろ話を聞いてみると、小学生でも色々な意見を持っているよねと思いました。

後藤 私も中学校や高校の現場に行かせていただいて、いい意味で2つありえないと思うことがあります。
1つは、政治的無関心は本当にないと思っていて、例えば、関谷先生のお言葉を借りるとしたら、自分事化が原点としたときに、今はものすごい大きなところから原点を考えさせることが多いと思います。今回、参議院選挙で、国の社会保障や財政がこうなっているとか、どう投票しますかと言われても、これはすごく難しいことで、なぜなら層が厚いからです。大きいところから原点を考えると、矢印が深くなる。政治教育の活動をしていて、地域の問題を扱う、自分たちの身近な問題を扱うことが一番のポイントです。自分の通っている通学路ではどれぐらいのお金が使われているのか、あそこにある図書館はいらないのではないか、プールはいらないのではないか、プールの予算をどこに充てるのか、そういうことになると一気に身近になって原点がどんどん近くなっていくんですね。自分の自治体ではこうお金は使われているでは国ではどうか、というときに自分事とか原点とか上に行く矢印の方が圧倒的に刺さりやすいんですね。自分の事から大きな社会を考えていくということがすごく大きなことだと思っています。
もう一つが政治的中立はあり得ないと思っています。多くの人がいて一人も考えが同じとか思考回路が同じ人は全くいないと思っています。中高生に枠組みとかを教えることではなく、AもBもCもDもあってβもあって何を選ぶかを問いかけることが必要だと思います。中立はなくても公平はあると思います。
2つのありえないことから、若い人の政治参加には学校教育が必要だし、自分のことから大きなことを考えることが必要ではないのかと思います。

原田 なぜ国の話とか、高校生に将来年金もらえなくなるから投票に行った方がいいよという話が伝わらないのか色々悩むんですが、例えると、最近の環境問題なんですよね。数十年後、南極の氷が溶けて大変だから今節電しようと昔から言われていたんですが、やっと最近ゲリラ豪雨が降って、まずい状況であることに気づいた。大事なことだとは思っているが、実感が湧かない、自分が何かやったことで将来が変わるわけでもないことにはそうそう関心を持つことができないんですよね。なかなか自分事化にならない。じゃあ、本当に身近なこと、みなさんの話にもあったような地域のことが一つ可能性があるのではないかと思います。
皆さんの中で、あまり出ていない論点として、地域の話、身近な話をして何が面白いのか。自分と違う意見に出会うんですね。出会いやすいんです。日本の国の借金を減らす方がいいですかどうですかということに対し、高校生は何となく減らした方がいいと思うと思います。すごく主張があるわけでもないし、すごい自分事化として捉えているわけでもないけど、何となく思っている。これは面白くないんですね。50人いて50人が全く同じ意見でというのは面白くない。色んな意見に出会えるから面白いのであって、それが広げられるのが自分事化できる地域のことであるわけです。あともう一つは先ほどの話にもあったように政治は生活だとか言われているんですけど、政治と生活のどちらが先に来るかは間違えてはいけないです。私たちが日々暮している中で、政治と生活が繋がっていることに気づかなければいけないんです。これは残念ながら、国の話や大きな話はそうはならないんですよ。身近な話をしている中で、生活と関わるものと結果的に直接政治に伝わることもある。ここを間違えちゃいけないんです。各政党は政治とは生活と同じであるといって、政治を先にして言うかもしれないけど、私たちが常に持たないといけないことは生活が先にあって、政治と繋がってるんだということ。それをどう広めていくか。地域が一つ可能性があるんじゃないかなと思います。

水野 寛勝(後藤氏)も言っていたように、どうしても自分たち若者が政治的無関心と言われているんですけど、そんなことは全くないなと私も実感しています。全く興味のない人と、関心のある人で極度に二極化している可能性もあるかもしれないんですけど、自分としては総合的にみるとやはり、興味のある人が多いと思っているんですね。でも、やはり政治って意識高いよねとか、私も高校1年生から環境問題の組織をやっていたんですが、なかなか学校で友達とかに言えないんですよね。自分こういうことやっているんだよねとか。もし言うと、アイツやばいんじゃないっていう雰囲気になったりとか、仲間はずれになることを恐れて、全く言わなかったんですね。環境とか自分たちの生活のことは、自分で考えるのは当たり前のことであって、それを周りの人に言いたいという思いもあるんですけど、なかなか言える場がなかったというのがあって、それもありつつ、東京に出てきて、原田さんとか寛勝(後藤氏)の「Youth Create」「僕らの一歩が日本を変える。」のイベントに参加したりしてメンバーになったんですけど、やはり、そういう場作りが必要なんだなと思いました。

加藤 少し参考までに言いますと、さっきからの話は、大人の世界でも、こないだの英国のEU離脱の議論と全く同じなんですね。構想日本は2002年から事業仕分けをやっていて、二百何十回やっています。7~8年前から無作為で選んだ住民の方が参加して、その人たちが判定をする。議論は我々のチームから行って議論する。それを地元で無作為に選ばれた人が判定をする。判定を行う住民は普段市役所にはほとんど行かないという人が圧倒的に多いです。ところが、その人たちが我々の議論を聞いて判定をする。非常に良い議論なり結論を出してくれます。そこで、自治体の行政が自分事になるんですね。無作為に選ばれた1000人にハガキを配りその中から判定人が選ばれる、そういうきっかけを作れば、さっきの生活の話になるんですね。公共事業や医療制度がどうかと言われても分からないけど、近くの市立病院をどうするかという話になってくるとやっぱり自分事になってくるんですね。先ほどの大きいところを言われてもよく分からないというのは、身近なところを集めると大きなところになるわけですから、そこが本当は大事なんじゃないかな。
10日程前ですけど、ロンドンに何日間か行く機会がありました。BBCの討論番組を毎日見ていて思ったのが、離脱派の言うことはミクロで生活的なんですね。残留派は、離脱したら経済の仕組みがどうなるとか、EU全体のマーケットがどうなるとか、仕組みの話でワンクッション向こうなんですね。ですから、これもやっぱりちょっと大きいし、自分から遠い。非常に直接的なのは、トランプ氏も一緒です。サンダース氏も一緒ですし、ある意味では危険で、ミクロのことで分かり易いけれども、先ほどの関谷先生もおっしゃったポピュリズムに近いんですね。だけども、それがアピールになるし、身近になる。難しいと思いますけど、そこの工夫は考えどころだと思いました。

青木 あまり関係のない話になるかもしれないんですけど、スポーツ、音楽、ファッションとかは入口が広くて中高生にも入っていけるものだなと思っていて、ラフに話していてもそんなに突っ込まれない。政治の話になると急に突っ込みがきつくなると思っていて、政治という大きな枠組みで見ると当たりがきつくなるんですけど、例えば、前提としてすごい大事なのは、個別政策に落とし込んだときに賛成か反対のバチバチはあると思うんですよ。個別のものに落とし込むと、その中で合意形成が取れると思っていて、合意形成が取れると、そこは両者が納得出来るから、お互い尊敬しあう中で、ここは違うけどここは一緒だよねという話が出来ると思っています。私がアメリカに住んでいた時、ディスカッションとかで、すごくバチバチするんですよ。けど、ここは一緒だよねというところはついていて、ここは違うよねとかお互い認め合って、ここは一緒だから出来るよねとかいう話が出来るんですね。そういうことは日本にはないと思っていて、皆さんが頑張っていることは多分そういうことなんだと思います。

関谷 先ほど補完性の話をしましたけど、身近な部分、それから地域という部分、そういうところで、自分なりに感じること、思うこと、言いたいことを言っていいんだという雰囲気を作っていかないと、先ほど皆さんが言ってたように、空気を読まなければいけないになってしまう。自分の感覚でものを言っていいんだというふうになっていかないと、なかなか広がりが出てこない。そういう意味で、場とか機会とか雰囲気をどういう風に作っていけるかということが大きな課題です。また、補完性というのは単位として、それを色んな形で開いていくということをいざなう考え方です。議論が開かれるということは、それぞれ違った立ち位置、目線、方向性でぶつかり合うことであって、それは新たな発見であり、気づきであり、この部分が良いと思っていても違った視点から見れば、違ってくる。そういうことに気づけることがすごく大事なことだと思います。参加と言うとハードルが高いものだと捉えられがちですけれども、日々生活していることが既に色んな部分に参加しているんだと捉えていく目線が大事になってくると思います。参加が広まっていくということは、成功体験、つまり、自分たちなりに議論して伝えたことが、実際の政策に反映されるとか、自分たちが議論して行動したことによって、世の中が変わるとか、世の中という大きなくくりではなくても、身近なところで何か一つ政策が出来上がるとか、立法が出されるとか、そういう成功体験を積んでいくことが、参加を実感することに繋がっていくと思います。逆に言うと、成功体験を積む政治教育を日本はやってきていない。党派教育と政治教育は違うわけですよ。政治教育はそういう成功体験に繋がっていくようなあり方でないと形骸化することは否めないので、そういう部分も併せて強調しておきたいと思います。

原田 先ほどの関谷さんのお話しに関して、自分の事例を紹介しながら話しをしたいと思います。成功体験がおそらく重要なんじゃなくて、成功することに越したことはないんですけど、プロセスの中に自分たちの声が入っているんだという気づき、あるいはその場が重要なんじゃないかと思います。若者の出た意見は全て採用します、みたいな変なところがあるんですよ。「若者が良い意見を言ってくれた。」「若者頑張ったね。」そういうものはいらないんです。若者が頑張って出した意見が政治の場に出た時、それは全く使えない意見だった。使えると思ったけど、色々検討した結果、採用できない。そういうこともしっかりと伝えないといけない。私自身の経験を1つお話しさせていただくと、プロセスまでは行っていないんですけど、私が今拠点を置いている東京都中野区の学生がチームに分かれて、街の色んな人に会ったり、自分の街と隣の街を比較してみたりして、こうすれば自分の街が良くなるという提案を過去2回行ってきました。その最優秀チームは区長あるいはその行政担当の職員と1時間議論出来ます。1時間議論すると、区長室から出てきた学生の顔を見ると、泣きそうな顔をして出てくる。区長との議論の際には、想定問題集をたくさん作って、勢い込んで臨んだけど、いざ議論をしてみると、その意見は区長や行政職員から見ると、まだまだ甘いものである。失敗しても何回も区長室に行けばいい。実際に何回も行ったチームもあります。それが成功体験に繋がるまで自分たちが関われるプロセスがあるということ、その中で特に成功体験プロセスがあれば、なるまで頑張ればいい経験になると今の話を聞いて思いました。

後藤 私から小さな補足なんですけど、今、地方消滅が言われたりしていて、税収が少なくなってきて、行政の役割が変わってきていて、民間の役割が大きくなって、民間で出来ることは民間でやる。そこから参加という定義が出てきていると思います。例えば、今、提言とか、行政の参加の手段は色々あると思うんですけど、ものすごいハードルが高いと思うんですよ。もし高校生だったとき、市長に意見を言うなんてとんでもないと思いますし、市議会議員に声をかけるなんてとんでもないと思いますし、その参加の定義を変えるべきだと思います。例えば、自分が意見をすることとか、小さなことでも、ラフに意思表明出来ること、話せることを参加の1つだということをもっと言って欲しいし、学校の先生にももっと分かって欲しいと思うんですよ。意見を発することとか表示することだけでも参加になるということを先生にも教えて欲しいと思いますし、小さなことだとTwitterでいいねを押すことでも、それで政治家から返事が来たらそれは成功体験で良いと思います。その意思表示をしてみることが大事だと思います。今、政治にはリーダーシップが必要であると言われていますが、私は少し違うと思っていて、フォロワーシップの方が重要だと思います。今、カリスマが出てきて、失敗したら叩く感じじゃないですか。その人も良い事をしたこともあると思うんです。けど、そういうことはなかなか取り上げられないじゃないですか。そこに対するフォロワーシップを強めていくことがそういう空気を学校や社会で作っていくんじゃないかなと思います。

加藤 最初に話をしましたけど、意思表示とか担い手とか、同じことなんですよね。実際にそういう場所が出来てみると、いかに市議会議員のハードルが低かったかということが分かるんですけどね。ご意見や質問を頂きたいと思います。

質問者① 高齢者と若者の利害が対立しない社会を作るにはどうしたらいいですか。

青木 私は2016年1月から4月まで4月までの約4か月間、入院していたんですけど、97%ぐらいが年配者なんですよ。入院した初日はやっていけんのかな、受け入れてもらえるのかなと不安になったんですけど、毎日いると年配者から色々聞かれて、私も色々聞くんですよ。10日ぐらいで家族みたいになってきて、おすそ分けとかもいただいたりして、意外とこういうことなんじゃないかなと思います。メディアは対立軸を作るけど、若者は学校や家だとお年寄りに接するとしても、自分のおじいちゃんおばあちゃんじゃないですか。だから近所のお年寄りに話すことはほとんどないので、コミュニケーションをとって話をしてお互いを知ることが大事なんじゃないかと思います。意外と話してみると普通なんだなと思ったりすることもあります。

原田 あとは政治の判断だと思います。政治が高齢者にだけいい顔をしていくのか、あるいは若者にもいい顔をしていくのか、高齢者にとっても若者にとっても現実的で次の世代に繋がっていくような判断をするのか。選挙だと政治家に投票するしかないじゃないですか。そこの判断がもう少し何かないと、自分たちも若者と高齢者の間でコミュニケーションを取ろうということだけでは、政治は成り立たないので、コミュニケーションだけでなく政治も変わる必要があると思います。

加藤 高齢者と若者の対立の構図は分かりやすいが良くない。今の若者は、高齢者が一生懸命働いて作ってきたものによって、その人たちが若いときよりもはるかに便利で快適な人生を今過ごしつつある。プラスマイナスを言い出すときりがないでしょう。時代の違いを受け止めるには、ある種の抵抗力が必要なのではないでしょうか。

質問者② 「今どきの若者は」と言われることについてのギャップについてお伺いしたいです。

後藤 「今どきの若者は」とは言われたことはないですね。はっきり言えないんですけど、ただ一つ言えることは、今どきの若者像は若者から作られているというよりも、メディアや周囲の空気が作っているものだと思います。なので、私はそこに対するギャップはないというのが質問に対する答えです。最後に一つだけ言いたいことは、私も新潟から出てきて、こうして皆さまの前で話せることはすごく光栄なことだと思っています。偉そうなことを言うためにやってはいませんし、政治の議論もそうですし、社会の議論もそうですが、出来る人だけがやればいいということではないと思います。自分の言葉で発しても良いと思いますし、ラフでもいいと思いますし、自分の言いたいことをきちんと言えたりとか、それに対して拍手が起きたりとか、そこで自分も社会の一員なんだとか思えるような社会が重要だと思っていて、それが出来た時に初めて若者を含め、みんなで社会を前進させられるのではないか、そういう雰囲気も生まれてくるのではないかと思います。

水野 質問に対する答えは、寛勝(後藤氏)に全く同意なので省略させていただきます。私も名古屋という三大都市圏から出てきて、色々学ぶこともあったんですけど、やはりこういう活動を継続させていくことが大切だと思っていて、今、大学4年生で就職して終わりでは大学生活をエンジョイしたかったと思われてしまう。もちろん自分自身真面目にやっていて、名古屋のため、日本のために少しでも役に立てればいいなと思ってやっているんですけど、やはり、形に移していかないといけないと思っていまして、ひとまず、来年の春から名古屋の会社に就職するんですけど、土日とかは空いているので、名古屋わかもの会議をNPO法人化して動いていきたいと思っていまして、ハラケンさん(原田氏)や寛勝(後藤氏)のような身近な人に刺激を受けて、自分ももっと出来ることがあると思いつつ、これからも頑張っていきたいと思います。

原田 今どきの若者と言われることに対して、私なりの視点で考えると、それをどう乗り越えればいいということで、若者も高齢者に対して思うところもあると思うんですよ。それを知ってお互いが乗り越えていくだけのことだと思います。
最後に、登壇者に自分より若い人が多いということが刺激的で、私自身も頑張ろうと改めて思いました。この一年で場づくりと担い手が格段に変わったと思いまして、加えて、家庭の中での担い手と家庭の中で政治や身近なことについて話す場作りをやっていきたいと思います。

杉浦 政治と言うよりは現実の社会で起こっている問題に対して若者が興味を持って、自分に関係することだと思って考えたり論争する若者を教育の現場で作りたいとやってきました。ディベートという場を通して若者が現実の問題にそれなりに関心を持って、自分の課題としてどれだけ認識できるか、自分とは反対の意見が頭の片隅にあるとそれが自分事化につながると思います。私は私立高校の教員なので、皆さんみたいに地方のことはやっていませんので、抽象的なことになると思いますが、高校一年生を対象に、簡単なレベルではありますが、日本の全体の抽象的な問題を彼らなりに議論し考えていて、彼らなりに楽しんでいます。なので、彼らも関心は持っていると思いますので、日本の中学高校の社会科とりわけ公民を通して広まっていくということが若者の将来の政治参加に積極的になることにつながると思います。

関谷 18歳選挙権について2点触れて終わりたいと思います。1つは社会認識の共通性です。政治とは異なる社会の領域をどう膨らませていくかが今後政治を考える上で大事になるのではないかと思います。社会が広がっていくことは日本の縦社会の打破していく可能性が生まれてくるのではないかと思います。大事なのは、横にものを残していくということです。冒頭で他者への配慮と言ったのは、空気に合わせていくということを我々は教えられてきたけども、そうではなくて、空気を超えることが他者を知ることである。これを本気で考えていかないと我々は縦という部分にずっととらわれると思うので、そこは意識的に超えていけるかが大きく問われていると思います。 
新しいコミュニケーション感覚の可能性は、例えばfacebookでいいねを押すことも参加ですが、我々は政治参加というと、参加する主体像の理想を掲げがちである。でも私は掲げない方がいいと思っているんですよ。むしろもっと若者の持っているものそのものが引き出されていく会がもっと作られていくべきなのではないかと思います。
今のデモの感覚は、今のネットで呟かれている一言に対して同じ感覚だと参加するんですよ。ネット上に載っている様々な情報やつぶやきに対して、自分がどう見るのか、感じるのか、そういうところから開かれる会が広がってもいいと思います。そういう動きが日本だけではなく海外でも広がっていることをどうとらえるかが今後の課題だと思います。

青木 私が感じていることは、今は違いが認められない部分があるのかなと思っていて、お互い顔を突き合わせて話すと違いはあっても共通を見つける。1億2000万人いたら、同じ人はいないはずで、1億2000万通りあるわけで、お互いの違いを見つけて、議論したうえで、自分の譲れないところが見つかる、そんな社会が日本に広がるといいなと思いながら、私も気を引き締めながら頑張っていかないといけないなと思いました。今日はありがとうございました。

加藤 ロンドンでEU問題の討論番組を見ていて、日本のメディアは舛添問題一色でしたから、この違いに正直がっくりしたんですけど、ただ一方で、例えば昨年話題になったSEALDsも含めて、若い世代が様々な活動を始めていることは日本の民主主義の成熟を示すものでもあると思うんです。以前フランス人と話していて、フランス人は前大統領のサルコジ氏が嫌い。嫌いだけれどまだ1年しか経ってない。引き下ろすんじゃなくて、もう少し見なければならない。自分たちが選んだからと言うんですね。そこは成熟なんだと思います。私はそういうことも、我々全員が持ち合わせないといけない。SEALDsのように表に出て熱狂することも含めて、世の中全体で育つようなことを考えなければならないと思います。先ほどお話しした構想日本の無作為抽出による判定人方式で、今まではがきを送った枚数が10万枚を超え、来ていただいた判定人の数が5000人を超えました。これを続けていくことも民主主義の底上げになると思っています。同様に今日の4人の若者が色んな活動をやっている。ここにいらっしゃる方もそれぞれの立場で活動されていると思うんですね。そういうことが大事なのではないかと思います。今日はこれで終わります。ありがとうございました。

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