• ゲスト発言

第234回J.I.フォーラム  「原発」を通して 私たちの生き方、社会を考え直す  2017/03/22(水)開催
ゲスト
神里 達博(千葉大学 教授)

齊藤 誠 (一橋大学 大学院経済学研究科教授)

鈴木 達治郎 (長崎大学 核兵器廃絶研究センター長)  

コーディネーター:加藤 秀樹(構想日本代表) 

【議事概要】第234回J.I.フォーラム2017.3.22
「『原発』を通して私たちの生き方、社会を考え直す」

「原発」と言うと、イエスかノーか、とかくイデオロギー的なレッテル貼りが前面に出る。だから有識者、社会的立場のある人は口をつぐむ傾向がある。そして、政治や行政はその対立を回避しようとする結果、私たちが一番考えないといけないことが議論されていない。本来、原発を含むエネルギーの問題は、私たちの生き方、社会のあり方の根幹に関わることである。個々の原発の再稼働云々だけでは問題の本質に迫れない。
第234回J.I.フォーラム「『原発』を通して私たちの生き方、社会を考え直す」では、千葉大学教授の神里達博氏、一橋大学大学院経済学研究科教授の齊藤誠氏、長崎大学核兵器廃絶研究センター長の鈴木達治郎氏の3名をゲストに迎え、原発に関する基本的な事実と論点を整理して頂き、原発問題が私たちに迫っているのは何かを考えていった。
 
P1100946(山崎さん撮影)
 
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齋藤氏「成熟社会においては失敗を糧にできなくなっている。」
齋藤氏「非常事態のマニュアルはどのようにして作り上げられてきたか、簡単に説明したい。1979年3月のスリーマイル島原発事故の際、因果関係を間違って認識してしまったため対応を誤った。人間の行動で過ちは必然。」
「重要なことは『徴候ベース』であること。因果関係の特定を前提とせず、観察できる状態変数に応じて手順を決める。」
「この考え方に基づいて作られたマニュアルがアメリカ、ヨーロッパで広がっていたが日本では規制当局が抵抗。その一方で現場の運転員は徴候ベースマニュアルを支持した。」
「福島第一原発事故の際はマニュアルが活用されなかった(無視された)。いざという時の人間の弱さを前提とした非常時対応マニュアルがあったにもかかわらず活かすことができなかった。もし、徴候ベース非常時対応マニュアルが機能していたら結果は変わっていたのではないかと考えているし、言われている。人間能力の限界を十分に配慮した危機対応が重要。」
「成長社会そのものが失敗を糧に前に進んできた。いまの社会は多くの失敗の上に成り立っている。いまは成熟社会。人々が豊かになっている分、失敗がもたらす損失も膨大となる(40兆とも70兆とも言われる莫大な損害賠償、廃炉への高いレベルの要求、原子力産業の存続可能性など)。つまり、成熟社会においては失敗を糧にできなくなっている。また、人々の価値観が多様化している為、合意形成を図ることが難しくなってきている。」

加藤「これは原発対応に限らずあらゆる物事において共通ではないか。人間は弱いのだから失敗をする。その対応においても完全はない。それを前提とした対策ができていない。」
「成熟社会において人々の合意形成を図ることが難しいと齋藤氏が述べていたが、それは、社会が豊かになるほど個人的な関心、利害が強く出て、パブリックとプライベートは常に表裏一体であるということに対する意識が薄れていくと言い換えることができるのではないだろうか。」

 
P1100765(山崎さん撮影)
鈴木氏「国民の信頼回復が最大の課題。脱原発か否かの二極対立を超え、本来解決すべき重要な課題に取り組まなければならない。」
鈴木氏「福島事故の最大の教訓は想定外を想定すること。津波は想定外だっただろうか。自身も含めて科学者の社会的責任は大きい。福島事故は避けることができた事故なのではないか。原子力の事故は工学的な評価だけではなく人文科学的な評価が必要。」
「福島第一の廃炉に関して聞かれる質問で一番多いのは、『デブリを取り出せるのか?』。しかし、これは正しい質問だとは思わない。本来は『リスクを少なくするためにはどうすれば良いか?』となるはず。デブリを取り出すことで絶対にリスクが減少するとは限らない。取り出さずに閉じ込めるという方法も考えないといけない。つまり、現象面ではなく総合的な視点が必要になる。」
「現在タンクに貯めている莫大な水の中にあるトリチウムの扱いが難しい。トリチウムは水と同位体なので分離するのは難しい。通常は海に流すことは許可されている。基準値が決まっていて現在も流している。海水によって薄めることになっている。」
「事故処理費用は50~70兆円と試算(2016年12月の政府試算は22兆円)。70兆円の試算の理由はトリチウムをすべて取り除いた場合に30兆円かかると想定されるため。漁業組合は流しても問題ないのは理解しつつも風評被害を気にしている。」
「福島事故はまだ終わっていない。廃炉復興は新たな段階に入っている。廃炉措置については、現在は東京電力一社が負担する仕組みになっているが、6年が経ってその仕組みを変えていく必要がある。ガバナンス改革が求められる。(福島廃炉措置期間、福島廃炉・復興基金機構、福島廃炉復興評価委員会)」
「エネルギー基本計画自体でも説明責任がなされておらず、そのあとも透明性の欠ける議論が続く。そもそも2030年でエネルギー改革の議論が終わるとは思えない。意識調査等からも国民の信頼は回復しておらず政策決定のプロセスの見直しが不可欠。国民の信頼回復が最大の課題。」
「国民の信頼回復に向けて何をすればよいか。行政・政治や事業者が説明しても信頼されない。エネルギー基本計画に、第三者機関によるエネルギー情報の発信と、双方向コミュニケーションの必要性が書かれているが実現できていない。」
「脱原発か否かの二極対立を超えて、本来解決すべき重要な課題に取り組まなければならない(①使用済み燃料・廃棄物処分 ②核燃サイクルとプルトニウム問題)。全量再処理路線からの脱却が必要。」
「福島の事故時、新しい使用済み燃料が多かった。温度は400度くらい。冷却水が数日内に沸騰する可能性があった。通常5年くらいはプールに入れて冷却しておく。それでも100度弱くらい。そのくらいの熱を発生させている。災害時にすべての原発が止まっていたとしても、停電が起こると、使用済み燃料の溶融事故が起きかねない。」
「使用済み燃料は現在日本に17000トンくらい。これまで3万トンくらいの使用済み燃料があり、6割が貯蔵、4割がヨーロッパで再処理。」
「廃棄物処理と言うと、燃えた後は分量が減ったり処理をしたりしやすくなるイメージがあるが、燃料棒は使用された後もほとんど分量は変わらず、扱いが簡単になるという訳ではない。燃えた後にコンパクトになるものはごく一部で、それ以外の廃棄物は変わらず、それらは冷却が必要で、そのままにしておいてもリスクは高くなる。」
 
P1100901(山崎さん撮影)
神里氏「産業社会からリスク社会へ -リスク社会における意思決定についての考察-」
神里氏「原子力は2007年の段階ではルネサンスと言われていた。原子力は素晴らしいエネルギーなのに安全性に対して信頼が無いということで、人文社会学の観点で研究をしてほしいと言われて、その当時から関わるようになった。」
「大学で教えるようになってから、原子力科学の技術者になっていくであろう学生が、この技術にどの程度の社会的、歴史的、倫理的な意味があるかを驚くほど知らないことを感じた。」
「私は、技術の外側にある背景(高度な教養)を教えていた。そのタイミングで第一原発の事故が起きた。」
「ドイツの社会学者、ウルリッヒ・ベックは30年以上前から以下の提起をしていた。
・産業が育つと豊かになり幸福につながる=産業社会。しかし、ある程度豊かさが増大すると、逆にそれらを失うリスクを恐れるようになる。例えば大企業の倒産、飲酒による中毒など、大小様々なリスクが生じる。典型例は地球温暖化問題。豊かになるために努力してきた人間の生活によって地球を壊す可能性がある。豊かになると、リスクが目に付くようになり、誰がリスクを背負うのか等のリスクの分配と処理についての議論が中心となる。現在の日本は正にそのリスク社会になってきてしまっているのがと思う。」
「『ファクトがあって評価をして意思決定(政治)につなげる』という流れ、いわゆる審議会手法がスタンダードかつ実現性が高かった。これは、専門家群による支配ともいえる構図であった。しかし、リスク社会はその手法に厄介な問題を生じさせてしまった。」
「ベックが提起した論点として、『実際には議会で表に出てくるような問題よりももっとマニアックで細かなところに実は物事の本質がある』とある。」
「学識者による審議会での議論は、一見専門的に見えるが実際には政治的なバランスを考えた議論になる=御用学者と呼ばれるようになった。」

加藤「現時点において原発や使用済み燃料が存在しているのが今の日本。原発や使用済み燃料との付き合い方として考えられる方策はあるか?」
齊藤氏「廃炉の手続きに関して、デブリを取り除くことによるリスク軽減もあれば取り除くことによるリスクの増大要因もある。トリチウムもタンクに保存して海水に流さないという選択肢もあるが、現在、貯蔵するタンクを作る場所がない。すべてを除去しようとすると30兆円かかるという鈴木先生の試算もある。そうなると放出しないことによるリスクも生まれる。リスクを取り除くと新たなリスクが生まれる。リスクとリスクがトレードオフの関係にあることをみんなが認識した上で落としどころを探す必要がある。」
加藤「原発事故が起きた時、東京在住者は被害者という意識しかなかったのではないか。しかし、原発による電力の便益を受けていたのはもっぱら東京都民だ。都民をはじめ、国民全員が原発に関する制度、予算すべての意識決定に意識的か無意識的かは別にして政治のプロセスにおいて関り、了承してきた。その意味ではすべての国民が加害者とも言える。被害者と加害者というのは裏表の関係ではないか。」
神里氏「アスベストは特例で、中皮種という病気はアスベストに起因するという因果関係が科学技術によって証明された。ただし、アスベストは肺がんリスクもある。でもその因果関係は誰にもわからない。トリチウムも同様で、基準値は決まっているが因果関係は不明。今の技術では立証も不可能。」「自分の責任にならないための会議をたくさん行う。誰も責任を取らない。一度、国民と契約の見直しをする必要があったのではないか。今の安倍政権は昔のパターナリズムに戻している。政権の支持率が高い要因の一つとして、国民がパターナリズムを望んでいるのではないか。細かいことを理解することは難しいので、一部の専門家や権力者でうまくやってほしい、と思っているのではないか。」
鈴木氏「民主党政権時に原子力委員会に関わっていた一人として責任を感じる。当時、討論型世論調査を見に行ったが、一般の国民が会場に来た時と出る時では雰囲気もまったく異なるくらいに意識が高まっていた。」
「原発に依存しない社会は国民的合意が一定程度できているのではないか。現実的にもいま稼働している原発は2基のみ。ただし、世界的には地球温暖化問題がメインイシューになっていて、原発が温暖化抑制に効果があるという側面もあるから厄介でもある。」
「73年の石油危機の時に行ったのが原発拡大政策。交付金を出して電力業界の原発投資への優遇制度を作った。それが今も残っている。そのままで脱原発依存を進めても実現しない。その部分は政治の役割。じゃあ、国民は何ができるかと言うと、地元の国会議員に話を出すというとても地道なことしかないのでは。そうなってくると、交付金の見直し、核燃サイクルも見直すことになる。」
齊藤氏「自分は原子力ではなくマクロ経済学の専門家だが、その立場として感じることは、合法的な手続き(手続き合理性)に伴う失敗は批判されない点。」
「事故の直前とその直後の連続性は保たなければならない。起きてしまって『ほら見たことか』としてしまうと物事は進まない。関わっていなかったとしても決定の合意を受け入れる必要があるのではないか。例えば原子力政策が始まったのは自分が生まれた年で、原子力には反対だったが、それでも決定がなされているのだから起きてしまったことに対してどう対応するかを考える必要がある。」
神里氏「議会を強くすることが大事。行政が情報を持っている。特に原子力関係は行政が担ってきた。議会に専門的なスタッフがいれば行政と太刀打ちができる。」



 

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