• ゲスト発言

第236回J.I.フォーラム トランプ、ルペン、そして日本。だからラオス  2017/06/20(火)開催
ゲスト
田中 陽子 (暮らしのクラフトゆずりは 店主)

前川 佐知 (ラオス織物研究家)

森 卓 (日本ラオス国交60周年記念作品『ラオス  竜の奇跡』プロデューサー/ジャパンーラオス・クリエイティブ・パートナーズ代表)

吉田 香世子(元留学生/ラオス在住者)
              
コーディネーター : 加藤 秀樹(構想日本代表)

【議事概要】第236回「J.I.フォーラム」2017.06.20          

 於:日本財団ビル2階大会議室

 

「トランプ、ルペン、そして日本。だからラオス」

 

<ゲスト>

田中 陽子 (暮らしのクラフトゆずりは 店主)

前川 佐知 (ラオス織物研究家)

森 卓 (日本ラオス国交60周年記念作品『ラオス  竜の奇跡』プロデューサー/ジャパンーラオス・クリエイティブ・パートナーズ代表)

吉田 香世子(元留学生/ラオス在住者)

 

<コーディネーター>

加藤秀樹(構想日本 代表)

 

加藤「第236JIフォーラム「トランプ、ルペン、そして日本。だからラオス」です。ゲストは田中陽子さん(暮らしのクラフトゆずりは店主)、前川佐知さん(ラオス織物研究家)、森卓さん(ジャパンーラオス・クリエイティブ・パートナーズ代表)、吉田香世子さん(元留学生/ラオス在住者)に来てもらっています。ラオスに縁のある4人で、ラオスによって仕事や生活が変わった人たちです。

今日のフォーラムのテーマがなぜラオスか。ラオスはしがらみや面倒くささはあるが笑顔がある。そのくらい家族や親類のきずなが強い。これは日本のくらしにも共通しているのではないか。ラオスの生活を感じることで日本の暮らし方についても考え直したい。今、当たり前だと思っている暮らしを外から見るのに良い題材です。」

 

田中氏「以前、旅館業とクラフト店を営んでいた時に中耳結核(耳に大きな雑音)に患い、治った後にがんが発覚しました。周囲の期待と言うプレッシャーもあり、その後精神的にも不安定になりました。その時に1枚のラオスのチラシを見つけたのをきっかけに、自分で何かハードルを越えなければならないと思い、ラオスに行くことにしました。

ラオスに行って一般の人の家に泊めてもらった。あらゆることがタイムスリップしたような感覚になった。自分をもてなしてくれるためのご馳走は飼っているニワトリを殺して料理する。火を点けるのも当たり前のことではなかった。寝る場所は動物も鳥も一緒に寝るようなところだった。でも、これまでで一番熟睡できたように感じた。そのくらい居心地が良かった。朝は女性も農作業に出る。おばあさんは子どもを面倒見ることが役割になっていた。ラオスに住む人たちは貧しいし不便だけれど、すべてを受け入れ、不満を持っていなかった。淡々と生きていて笑顔だった。そのことが衝撃だった。自身を受け入れることを教えてくれた。自分は他の人だけでなく、自然によって生かされていると気づかされました。ラオスは父や母から聞かされていた昭和初期の日本と似ていました。

村人のくらしは、かつて東北の手仕事について両親に教えてもらったことが現実のものとしてそのまま動き回っているようだった。私はラオスに生かされたので、感謝したいし、その恩返しとしてラオスの綿や帯を作ってもらっています。」

 

森氏「ラオスに移住して日本語情報誌などを創刊していました。日本ラオス合作の映画『ラオス 竜の軌跡』の製作をし、完成した昨年4月に帰国したばかりです。ラオスの生活からいきなり東京に戻ってきたのでカルチャーショックが大きかったですね。ラオスは現在、西洋の人たちから大人気で、行きたい国の上位にもランクインしています。日本でもラオス展を行うとかなり多くの人が参加してくれます。

ラオスとの出会いは、バックパックの海外一人旅に興味があり、訪れたのがきっかけです。1年くらい行こうと料理をやっていた関係からまず中国へ行きました。その後タイに移動しようと思ったが国境に近い雲南省でタイとは陸続きではなく、ラオスを挟むことを知りました。それまでは舗装されていた道が、国境を境にラオスに入ると赤土に変わるんですよ。

ラオスの田舎町に宿泊した時、みんなでお酒を飲んでいる会に誘ってもらったり、そこで知り合った人に移動するときに案内をしてもらったりとても親切に接してくれた。その後も他の国を回る予定だったが旅を繰り返すにしても同じことかも知れないのでラオスに住むことに決めました。ラオスでは日系の旅行会社で働くことにしたが接するのは日本人ばかりで、これでは何のためにラオスに住んだのか分からないと思い辞めてしまいました。その後は就労ビザを保証してくれるラオスの旅行会社に就職したが、基本的に無給でした。所持金はどんどん減っていったが時間は余っていたので、ラオス国内を回っていました。最終的には全財産が7ドルぐらいになった。そんな中でもラオスの人たちは何かしらのサポートをしてくれる。ラオスの人は知らない人を暖かく迎えてくれる。なので、不安はなかったですね。どうにかなるという雰囲気がありますね。

2015年に国交樹立60周年でしたので、個人的に何かやりたいと思いました。ラオスに恩返しをしたいという気持ちになり、映画を作りました。」

 

前川氏「中国が好きだったのでタイから中国に移動しようとしたときにラオスを知りました。そこでラオスの染織を見て感動しました。その時はすぐに日本に帰りましたが、もう一度ラオスに行きたいと思い、2004年から住んでいます。最初の2年間は首都ビエンチャンに住んで、ラオスの織物を見てから帰ろうと思っていましたが、日本に帰るまでに地方の織物を見ておこうと思い、回っているうちに面白くなってしまった。織物は縦糸と横糸を織るがその単純なはずの織り方が人によって全く違う。そしてラオスに滞在するようになった。

ラオスにいて布を作ることも人間の生活の知恵だということが分かった。同じ家でも、売るためのものと家族のためのもので違う。家族のための方が時間をかけている。日本からするともっと効率的にできるんじゃないかと思うくらいに手間暇かけて織っていた。そこにとても惹きつけられた。ある村ではカバンと布団と白布しか織っていない。日本で機織りをしている人からするとこれで織れるのかと思うようなものを使っている。ラオスでは織物が生活に根付いている。死んだときにはたくさんの布を配る。死んだ時に恥をかかないようにするため。死を終着点として布を織りためているラオスの田舎も日本の田舎も変わらないように感じた。日本もラオスも田舎であっても恋愛に悩み生活に悩む。それは日本もラオスも、田舎も都会も変わらないと思った。私にとってのラオスは、日本と全然違うが、そこが魅力的なのです。」

 

吉田氏「今、ラオスのビエンチャンに住んでいます。年に1回帰国しますが、実家が岩手なので東京はほとんど来ないですね。これだけ多くの人が歩いているのに知り合いが誰もいないことにビエンチャンとの違いを実感しました。ラオスと言うと途上国という印象を持っている人も多いですが、それは一面でしかなく、豊かな側面を持っています。

ラオスの農村に住む人たちは生業である農業の他、染織、野草の採取、小動物の狩猟・捕獲、竹・藤細工などもします。それらは自分たちの食料とともに、物々交換をするための物資として扱われています。

『共に働き、ともに食べる』という考えがある。ラオスにはみんなで農作業をしたあとにみんなでご飯を食べる風習があります。仕事は誰のための者でもなく自分のためと考えられているからこそ、働くことに喜びを感じられるのではないか。

相互扶助の実践も見られます。世帯間の力の貸し合いや村ぐるみの助け合いがあります。この風習や知識、技術は上の世代から下の世代へと伝承されています。村で言う「おとな」とは、一人前の能力を備え周りの人々を助け、周りの人々に助けられる人だと感じました。

村落社会も変容しています。1990年代は若年層の流動性の拡大、避妊の普及による少子化の進行。2000年代は労働移動の活発化、産品の販路拡大、ツーリズムの影響の拡大。2010年代はテレビや携帯の普及に伴って地元への回帰も進んでいます。

現在は結婚出産を経てラオスに居住しています。子ども2人と親戚の6人で住んでいる。基本的な衣食住は家族が一緒です。行事があるときにはほかの家の人たちも手伝ってくれます。家事と子育ての考え方が日本と違い、他の親戚も主体的に子育てに関わってくれるので、そこは楽ですね。親戚との付き合いは深く、連絡も多いです。

同じ村出身の人が前触れもなく訪れ、何の悪気もなく寝場所を期待される。そこには相互扶助の考え方が根底に流れているように感じます。首都は基本的なインフラが整っていて給与水準も高いが、その代わりに交通渋滞やごみ問題、都市型犯罪、高い生活コスト、所得の格差、拝金主義という窮屈な面も生じています。

ラオス人の一般的気質は、家族や隣人を大切にする、気前が良い、焦らず怒りを面に出さない、争いやもめごとが嫌い、『足るを知る』ですね。体面を重んじますね。ラオスの言葉で「サバ―イ(心地良い、快適)「ポーペンニャン(大丈夫)」があります。

ラオス人はしがらみに生きていて、そこには狭く濃密な人間関係があります。相互干渉に煩わしさや見栄などがあるのではないかとも感じるが、それは居心地の良さや安心感をもたらし、その方が勝っているように思います。

人生は楽しむもの、幸せは誰かと分かち合うもの、物事をありのままに受け入れるもので、ある意味では現世主義(いまを生きる)、自利・利他の精神、ある種の達観・諦観があるのではないか。他方で自分自身に対しては高い自己肯定感がある。ありのままの自分が好きと言う人が多いように感じます。

今の日本が抱える課題として長時間労働や所得格差、いじめなどが言われているが、共通する背景として、過度の個人化と孤立化があるのではないか。自由になることは利にかなっているのかもしれないがその分自己責任の感情が強くなっているように思います。

この時代を生き抜くために、私がラオスから学び実践することは、①自分を肯定すること、②縁を大切にすること(地縁血縁だけでなく出会った縁を大切にすること)、誰かを頼りにすること(日本人は誰かに頼ることが苦手ではないか)。」

 

加藤「吉田さんのお話ししてくださったラオスの良さは、だんだん消えてきてまだ残っているものなのか、それとも元々あるもので、経済成長の中でも核として一般的な人の価値観として積み重ねられているものなのか。」

 

吉田氏「後者だと思います。ラオスの人が元々持っているものや受け継がれてきたものが、経済やお金が加わった時の現れ方というのが、気前が良いから、体面を保つためにお金を使ってしまう。そういう形で現れたのかなと思います。」

 

加藤「慶應大学の湘南藤沢キャンパスで教えていた時に、78人のゼミ生が年末にベトナムの少数民族がいるところに行った感想文で良いことを見てきたなと思いました。ある学生は、「日本では選択肢の多いことが良いことであると言われているが、本当にそうなのか。彼らを見ていると、全く選択肢がないから今そのことに集中するしかない。それしかないから、一生懸命やるしかない。日本人が発展途上国に行くと上から目線で彼らの目はきれいであると言うが、それは良くないが、事実でもある。だから選択肢があるのは本当に良いことなのか。疑問である。」と書いていました。もう1人の学生は、「彼らの生活を見ていると、自分たちの途中経過人生である。私たちは良い小学校、中学校、高校、大学、会社に入れるように努力している。次のために何かをしている。今のことに集中できていないのかな。」

 

加藤「ラオスの人にも同じようなことが言える。ビエンチャンは都会人のような生活をしているが、そういう部分もまだ残っているのかなと思いました。」

 

質問者「日本はしがらみが強すぎて一度出てしまうと戻れなくなってしまう。ラオスにはないのか?」

 

吉田氏「しがらみは面倒臭いとは思うが、しがらみから逃れてもまた別なしがらみの中で生きていかなければならない。日本は自由になって戻ることはできないがそのことを考え直す時期ではないか。」

 

田中氏「東北の小さな村にもラオスのようなしがらみは存在します。それに苦しんでいる人もいます。しかし、しがらみに頼っているところもあります。しがらみの大変さを当てはめると、「保険」と同じように思えます。ラオスにある地方は自分の住んでいた青森にもあります。何かをする時に自分の事だけでなく家族や周囲のことを当たり前のように考えるところはラオスとの共通点でもあると思います。」

 

加藤「『大丈夫だよ』というのはラオス語で『ボーペンニャン』と言います。アラブで『マレーシン』という言葉があるんですが、約束を破って来なかった時に言う言葉なんですよ。さらに『冗談じゃない』と言ったら、『インシュアラー』と言うんです。神様の思し召しという意味です。関西人なんかそんな気質があるような気がします。桂文珍が夜のNHK番組の解説で、関東人と関西人を比べていて、関東人は失敗したらブツブツと文句を言うが、関西人は困るじゃないですか、どうしましょうかと言う。最後オチみたいな感じになってしまいましたが、是非、『ポーペンニャン』覚えてください。後ろにある展示物見て行ってください。今日はこれで終わりたいと思います。ありがとうございました。」

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