• 読者の声

タイトル 【No.878】シリーズ「報道されない福島の現実」3 ―経済産業省編-
発行日:2018/09/27
読者の声

◆ 埼玉大学名誉教授 小野 五郎氏(2018/09/29)

当事者能力欠如は現日本社会共通

正直な話、事故当時、霞ヶ関で最も原発事故当事者に相応しかったのは経産省です。

まだ改革前の官僚システムが色濃く残っていたあの頃、形の上では関係ありそうな科技庁系とか環境庁系も、とうてい大蔵・通産・建設系の財務・経産・国交省などの巨大官庁に太刀打ちできませんでした。時として例外的に出来たように見えるのは、政界とか世論の強い後押しがあった場合に限られます。

ところで、当時の経産事務次官は、以前資エ庁にて原発安全基準に関わっていたと伝えられます。となると、モリ・カケでも見られたように、役所幹部の不始末を揉み消しに動くのが官僚の常・・・有が無に無が有になるのは日常茶飯、隠しきれなくなれば枝葉に寄って集って責任を押し付け「トカゲのしっぽ切り」です。

といって、当時の次官が仮に正義感を持っていたとしても何が出来たかは疑問です。なぜなら、事故前の東電は、政官のみならずメディアも学もことごとく言うがままに操っていたスーパーパワーだったからです(往年のあの通産省でさえ「東京電力霞が関出張所」と揶揄されていた)。

で、事故後東電が一気に力を失っても、皆かつて彼に従った汚点を認めない・・・政府部内はもちろん、今や反原発を謳うようになった政治家から学者やジャーナリストに至るまで同じこと。結局、それをそのまま受け入れているのが今の微温湯に慣れ切った日本社会であり、その限りにおいては――申し訳ないですが――、鈴木さんが求める答えは出て来ようがありません。

そこに、また「構想日本」の存在意義があるのでしょう。ただ、今の日本にはあまりに問題点が多すぎ、取り上げなければならない事項も限りなく膨らむため、結果として圧倒的多数を占める無関心層に関心を向けて貰えないでいるということでしょう。

賽の河原の石積み・・・それでも、せねばならないことですよね。非力ながら声援を送らせて戴きます。  

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