• 構想日本の活動

公職選挙法


1999/06/01(火)
政策ディスカッション「政策を競う選挙を考える」<議事録概要>

●議事録概要

加藤:
「政策を競う選挙にするための公職選挙法改正の提言」を説明。(ウェブ参照)

屋山:
イタリアやスイスでは、選挙期間になると広場で大演説会をやる。また、テレビ討論会も行う。司会者がいて、なるべく偏らないように各党の政策を聞き、チェックする。日本の選挙では、例えば小さな集会では、代議士が公民館や橋を作るという話をしているが、そういう話は外国では聞いたことがない。日本には地方分権がないからである。外国でも地方の選挙だったら、そういう話をしているに違いないが、日本ではそれを国会議員がしている。地方分権が進めば、少なくとも国会議員がここに橋をかけますという話はしなくなって、国家の外交、防衛、財政などの話をするようになるだろう。そうした時に、討論会が成り立つのではないか。
日本には広場がないので、せめて、テレビで放送してほしい。

小田:
私は、全国で公開討論会を広げている。これは、市長選、知事選、あるいは去年の参議院選など選挙の時に、公開で候補者に討論していただいて、それを有権者が見て一票を入れるという運動である。4年前から始めた。これを始めるきっかけになったのは、イギリスで議会を見たことである。イギリスが日本よりもすべていいというわけではないが、各候補者や党にそれぞれの政策、思いがあって、それを有権者に示して選ばれている。本来政治改革というのはそういうことが行われなければならない。1993年に選挙制度が変わったが、各党から有権者に明確な方向性が示されて政策論議が行われているかというと疑問である。今日は国会議員の先生方が大勢参加されているので、いろいろなご批判を受けたいと思う。
公開討論会をやろうと考えた時に、自治省の方と話をしたところ、公職選挙法において164条などで第三者が公開討論会をしてはならないと規定されていると言われた。しかし、選挙活動において禁止されているということである。一人の候補者を勝たす目的において行われる活動を選挙活動というならば、公開討論会というのは別にどの党にもどの候補者にも利するものではないので、公開討論会は選挙活動に含まれるのか。それを自治省の選挙課の方と討議して、その結果、中立公平にきちんとやるのであれば選挙活動に含まれないので何とかできるということになった。それで、いろいろな市長選や知事選でやったところ、500人、1000人、1500人、2000人と、たくさんの方がおいでになった。候補者に対する中立性ということについては、厳密すぎるぐらいの注意を払った。以前立会演説会というのがあったが、昭和58年に廃止された。昭和58年というと、そのとき私は25歳だったので立会演説会についてよく知らないが、衆議院の選挙の時に、各候補者が順番に皆の前で20分ぐらい演説をした。いい制度だと思うが、昭和58年に廃止された。なぜかというと、やじがものすごくとんだり、あるいは一人の候補者が演説している時には、その応援団が埋め尽くして帰っていき、その次の人がくると、その人の応援団が入ってくる。というふうに、どんどん形骸化していったからである。そのため、公開討論会をやってもやじがとぶのではないかという危惧もあった。しかし、やじや発言中の拍手をいっさい禁止したところ、今まで4年間、市長選、知事選、参議院選、地方統一選挙の議会選挙など約160回やったが、ただの一度としてやじがとんで会場が騒然となるということはなく、粛々と行われた。
公開討論会をして何が起こったかというと、平均すると約10%ほど投票率があがった。公開討論会をしたからあがったのかどうかと言われると、私もよくわからないが、マスコミでも非常に大きく取り上げられている。有権者にとって、選挙で何が争点になっているのかを聞き、どんな方が出ているのかを知ることは有効だと思う。候補者も開催前は相手候補の回し者ではないかとか、いろいろ勘ぐられている方も多いが、参加した方は大体においていい機会であったとおっしゃっていただいている。例えば、宮城県の県知事選の時も公開討論会をやった。その時当選された浅野知事が先日行ったシンポジウムで、次回の選挙では毎日やってもいいとおっしゃっていた。参議院議員の市川三郎先生もシンポジウムにおいでいただいたが、参議院選挙の時に公開討論会に出てよかったとおっしゃっていた。全員の方かどうかはわからないが、好評をいただいている。また、公開討論会に参加した有権者に、公開討論会に参加してどうだったか、というアンケートをとったところ、5割の人が大変よかった、4割の人がよかった、あと1割の人が不満である、という結果だった。不満の人からは、限られた時間内で様々なテーマについて話をしなければならないためもっと議論を深めて聞きたかった、あるいは会場からもっと質問をとって欲しかった、という意見が出ていた。基本的に私たちはマニュアルやルールに沿ってかなり精密にやっている。質問を会場からとる場合には、紙面でとることを原則にしている。それは、以前質問の名を借りて、誹謗中傷することがあったからである。
公開討論会を行っている中で問題点がいくつかある。その一つは、選挙中は公開討論会を開催できないことである。各候補者が合同で演説会をする、という合同立会演説会方式ならできるようになっている。これは法律でもできると規定されている。しかし、今度の衆議院選の時に、自民党や民主党の候補者が一緒にやりましょうよ、とお互い声をかけられるかというと、おそらくそれは現実的には無理だという気がする。だから、今後の課題は、選挙が始まってからも公開討論会やテレビ放映を可能にすることである。資料の新聞記事(東京新聞1999年3月29日夕刊)に出ているが、特に今回の東京都知事選の場合は、選挙が始まる前はテレビで何度も討論会をやったが、選挙が始まった途端なくなった。実はTBSも、選挙期間中に都知事選の候補者の討論会ができないものか道を探ったが、法的に非常に難しく、選挙期間中は全くできなかった。これも中立性、公平性という問題が非常に関わってくる。選挙期間中のテレビ放映の問題、公開討論会開催の可能性の問題について是非いろいろ議論いただければありがたい。そしてもう一つ、開催する側の問題がある。このあいだの地方選では、少なくとも私たちが関わっている範囲で、全国128ヶ所で実行委員会がたちあがり、90近くの公開討論会を開催した。私たちがやっている方法だけが正しいというつもりはないが、私たちのルールを知らずに開催された中で、特定の政党や候補者を応援している人が主催者となって問題となったところが2、3ヶ所出てきた。だから、今後開催する側のスクリーニングの問題が出てくると考えている。今まで、地方選あるいは参院選において公開討論会をやってきて、随分と人々の意識の中に根づいてきたように思う。それで、中立公平に行われるということを前提として、今度の衆議院選では、是非こういった公開討論会が全国300選挙区全てで行われたらいいと願っている。私は地球市民会議という名前でやっている。これは、別に民主党の親派ではない。プロジェクトの名前は、リンカーンフォーラムという。これは、アブラハム・リンカーンの「人民の、人民による、人民のための政治」を滅ぼしてはならない、ということからとっている。これは、いわば候補者に出てこいという話ではなく、私たち有権者がきちんとした目をもって、自分達も勉強していかなければならない、私たち自身が学ぶ場である、という具合に捉えている。この運動はこれからも進めていきたいと思う。これは昔の立会演説会のように、行政がやったらいいというものではなくて、市民がやるのが非常に大きな力であると思う。今赤ん坊がちょうど生まれた時期だから、健全に育って欲しいと思っている。今日皆さんのお手元に私どもの記事が何枚か入っているが、こちらにも記事の一部があるので後でお時間のある時に見ていただきたい。また、ここに、小野市の市長選ではどういう形でどういう具合にやったかまとまっているものがある。小野市の市長選の公開討論会はニュースステーションでもとりあげていただいた。私の報告は以上である。

加藤:
今、小田さんのお話の中で、都知事選でも選挙が始まりだしたら、ぱたっとテレビで放映できなくなったということだが、これについて作曲家のすぎやまさんが、いろいろキャンペーンを展開されてこられた。そのご経験をお話しいただく。

すぎやま:
私は政治のことに関しては、全く本業ではない。音楽が本業である。純粋に一人の有権者としてある思いがあったのでああいうことをやった。有権者として政策で選んで投票したいと思うが、毎回非常に困る。何が困るかというと、各候補者の選挙公報をみたり、各政党の政策を見たりすると、例えば消費税廃止、所得減税、景気浮揚、とならんで財政再建、福祉増進などと項目で箇条書きで書いてある。それらを全部やるというのはすごい手品でないとできない。みんな同じようなことが書いてある。減税と財政再建をどうやって両立させるのかわからないと選びようがない。選挙公報等をみると、皆さんとてもいいことしか書いていない。それでは、どうすれば本当のところを見れるか。それぞれの候補者が出した結構なお題目が対立候補の批判にさらされることによって、本当のことが見えてくると思う。それは無理でしょう、それはおかしいでしょう、という批判にさらされて出てきたもの、それを見たいと思う。キレイゴトだけでは非常に困るということが出発点。いろいろな立会演説会、公開討論会が開かれてはいるが、私や私のまわりの一般有権者は近くの公民館で立会演説会があってもわざわざ行かない。しかし、テレビでやっているとお茶の間で見る。だから私の希望としては、とにかくテレビでやっていただきたい。そうすることによって、一般の人たちも見てくれるのではないか。それに立会演説会に来る人数とテレビで見る人数は、相当桁が違うと思う。テレビでやる時に、一番問題になるのはたぶん各候補者の公平性をどう保つか、ということだと思う。討論会に呼ばれる人、呼ばれない人がいる、不公平である、と。でもこれは、やりようがあると思う。私は以前テレビのディレクターをやっていたが、番組をヒットさせる、視聴者をつかむ手がかりの一つとして、コンペティションというのがある。喧嘩、競争、闘いなどが番組としての大きな魅力になるはずである。いまだに続いている番組だが、昔私が作ったフジテレビの新春隠し芸大会や紅白歌合戦はコンペティションが大きなキーになっている。候補者同士の論戦は、コンペティションだから絶対視聴者を引き付けるものがあるので、是非テレビ局のみなさんに放映をお願いしたい。それから不公平にならないように泡沫候補をどうするか、という問題が出てくると思うが、例えば、夜中に長く時間をとって泡沫候補ばかり集めて、討論会をやる。泡沫候補ばかり集めると、一般の視聴者は、この人は何を考えているんだ、一体どんな奴なのか、何か変なこというのではないかと思って、結構見てくれるのではないか。面白そうだから野次馬根性で私など真っ先に見る。民放の場合は常に商売になるか、視聴率をとれるか、視聴者の関心が呼べるかどうか、というのが番組編成の大きな手がかりになっているが、泡沫候補による大討論会は絶対話題になるし、視聴者を引き付けるものがあると私が保証する。それをやることによって、泡沫候補ではない、各政党の代表者による討論会が公平性を配慮してできるのではないか。変な軍団によるやじとか騒ぎ倒しみたいなことは、スタジオでは起きないと思う。是非テレビというメディアを通じて、私たち有権者に候補者の施策、能力、人物像といったものを、情報として与えていただきたい。それから、もう一つ、マスコミの皆様にお願いしたいことがある。衆議院選挙の度に私が悩むのは、最高裁判事の任免である。国民全員がマスコミの皆さんも含めて、国民が最高裁判事の任免権を持っているということをほとんど忘れていると思う。国政選挙の際の定数の問題にしても、死刑論議その他についても、有権者は考えていることがある。しかし、最高裁判事それぞれの人がどういう考えを持っているか、過去にどういう判例を出したかという情報がない。だから、判事による討論会もテレビでできればやっていただきたい。以上。

加藤:
今のお話の泡沫候補大討論会について、誰が泡沫候補かを選択するのが難しいと思う。皆そっちに出たがるかもしれない。いろいろ現場の話を伺えたので、東京大学の蒲島先生に、アカデミックな立場から全体をまとめたお話を伺えればと思う。

蒲島:
以前小田さんが公開討論会を考えているとお話しされた時に、総論としてはいい話だが、たぶん失敗するだろう、それほど多くの人が公共のために動くということはないだろうと思っていた。それが予想に反して大成功を収めた。どうしてだろうと思った。一つは、民主主義の原則に沿っている活動であるということ、そのためにマスメディアの人たちもこの活動を応援した。もっと大きなことは、有権者も政治に参加したい、そういう気持ちを持っているし、今の低投票率をどうかしたいという考えがある。それで大成功だったわけだが、まだもう少し足りない。ようやく成功しつつあるが、国会における法制化の動きが必要である。法案の原案がここにある。今何が現状として不完全なのか、不十分なのか。一つは、公開討論会は、公示前は法的に問題がないと言われているが、公示後には討論会は行われにくい。告示後、あるいは公示後にも討論会が開催できるように法改正をしなければいけない。もう一つは、テレビで放映しないと多くの人が見ることができないということである。
民主主義とは何か。民主主義というのは政治学者の数だけ定義がある。私の友人マックス・カーゼは、民主主義は変化であると言った。変化の芽を多く作るという意味でこのような公開討論会はすばらしいと思う。また、インターネットによる選挙運動をより推進していく必要がある。これらはイデオロギー的な対立もないから超党派で法案を提出してほしい。

加藤:
一通り、ゲストが話したので、議論を始めたいと思う。

河野太郎(衆・自民党):
政策を競う選挙を考えるというテーマと、公開討論会というのは少し僕は違うという気がする。去年、イギリスに行った時イギリスの国会議員に日本の国会議員は全員詐欺師ではないかと言われた。どういうことかというと、日本の選挙では、皆私の公約はこれこれであると言って選挙を戦っている。私の公約はこれだと言って選挙を戦って当選してもそれは絶対実現しない。だからみんなおまえら詐欺師だと言われた。イギリスでは、わが党の政策は、といって選挙をやっている。だから、私たちが過半数を取って政府を作れば、わが党の政策をプログラム化して法律を作り予算を作り、それを実現するんだと言った。それが民主主義の選挙、要するに政策を戦わせる選挙だという議論をやって、なんとなくそのときは負けたような気がした。私が最初に選挙に出た時の、リーフレットにいろいろなことを書こうとしたときに、こんなの書いても本当に実現できるのか疑問だった。仲間は、そんなこと言ったってなんか書かないとしょうがないから書けということで書いた。少し葛藤があった。政策を競う選挙というのであれば、本当に責任を持って政策を実現する人が議論をしなければいけないと思う。例えば、市長や知事の選挙であれば、候補者同士が議論をして皆に選んでもらってその人が当選すればある程度のリーダシップをとることができる。そういう意味で党首、大蔵大臣、影の大蔵大臣が議論をしてそれをみんなが見て、なるほどこっちの政党が言っているのが正論だと判断するという公開討論会ならば、実現可能だろう。それは政策を競う選挙になると思う。それぞれの選挙区でそれぞれの議員による公開討論会をやってもだめで、議院内閣制の政策を競う選挙というのは、候補者同士の競いではなくて、政党同士の競いにしなければいけない。しかし、自民党の公約というのはあるが、それが全くプログラム化されていない。また、今の自民党は、官僚が出してきたものの上っ面をなでているような気がする。一方、野党も安全保障問題について合意ができないとか、いろいろな問題をかかえており、確固たる政策はない。だから、政策を闘わせて選挙をやるためには、まず政党が、これがわが党のプログラムでわが党はこれをやるというのをきちんとまとめていかなければいけないと思う。そういう意味で、党首、担当大臣、担当影の大臣の公開討論会が始まれば、そういうことができるようになるのか、あるいはそういうことができてから討論会をやらなければいけないのか。鶏と卵かもしれないが、そういう意味で、公開討論会をやればいいというのと政策を闘わせるというのは少し違うと思う。ただ、それが相互補完になっていることは間違いないと思う。

河村たかし(衆・民主党):
今政策のことを言われたが、間接民主制というのは、どうもこの人にまかせるとよさそうだという、一つの人格というか人柄を選ぶ。選挙の機能には、そういうのがある。政策だけではなく、人間性を選択する機能もある。議院内閣制だから今河野さんが言われた政党による選挙ということもあるかもわからないが、個人による政治というのも非常に重要である。この案だったら本当に超党派で出せるので、通るか通らないかわからないが、法律を出してみよう。とにかく公共サービスをやると楽しくなるようにしないといけない。楽しくするためには、参入規制を外すことが必要である。いろいろな人がやって、評価、経済でいうとそれは対価、価格を表現できるようなシステムを早く作る。構想日本が案を作ったのだからやってみて、そう簡単に価格に表現できないが、喜びを与えて、どんどんいろいろな人が参加出来るようにしないといけないと思っている。今日またついでに言うと、政治家には法学部の人が多いが、日本国を経営するのだから本来は法学部の人は少し下がって、経済学部の人たちが、どんどん政治をやらないと面白くないと思っている。

石井一(衆・民主党):
この案を心から評価したいと思う。私は実は、自民党時代に選挙制度調査会長、それから政治改革の選挙制度部会長等をして、この議論を大いにやった。私が選挙に最初に立ったのは昭和42年でこの演説会がなくなったのが58年なので、6、7回の立会演説をやったことがある。最初は実にいい制度だったが、今ご指摘になったような理由でなくなった。自民党の中でなくそうという議論が出た。野党はあってもいいという意見が多かったと思う。要するに、中選挙区の場合に候補者が10人から10数名いると、始まりから終わりまで時間が長すぎてずっと聞いていることができない。組織を持っている政党、特に公明党それから次に共産党が動員をかけたら、それ以外の政党の候補者の演説の時には閑古鳥が鳴いてしまう。さらに、普通の選挙区、例えば熊本の二区、三区、四区では、そこで立会演説会があるということになると、10数台の宣伝カーが全部その地区へまとまって入ってきて、朝から晩までその地区がやかましくなる。場合によっては演説会で演説しているのに外で連呼の車が走っている。立会演説会をやることによって、その地区が一日中選挙の地帯になってしまう。それから一番大きかった問題は、自民党は3名4名の候補者が立っているので、政策を争うといっても争い方がない。そこで、消費税をゼロにするとか勝手なことをいう候補者が出る。結局、立会演説会が自民党の中の同士討ちのために生きないという問題もあったと思う。さらに、共産党、公明党などその他の政党は一人の候補者を立てているので、最大の動員をかけるが、自民党は後援会の組織だから自分の中身を見せられない。だから、自民党は誰も動員をかけない。そうなると、その立会演説会は野党だけの聴衆になり、演説しても一票もとれない。こういった現実的な問題が重なって、廃止するということに決定した。私は、市議会議員も県議会議員もやらずに国会議員になった。私は昔はもっといい男だったから立会演説会は実に大きな効果をあげてくれた。若い人にとって、新しいさわやかな候補者にとっては、絶対に必要な制度であると思う。ただ、主催者が選挙管理委員会などいわゆる公の機関になると、非常に野暮な運営のし方になる。自治会長や婦人会長に声をかけてしまって、一般の人々が行かないということになる。だから、任意のグループがいかにやるか、公的にやるならどういうやり方をするか、ということに知恵をしぼらないといけない。また、いろいろな地域でやると、12日間では間に合わないので、一回大きな会場でやって、それをテレビを通じてその地域全体に流すということをやらないといけない。都知事選などでは聴衆が多いからいいが、衆議院を300に割ると有権者が少ない。だから、よほどローカルなテレビ局でないと放映しない。いろいろ技術的な問題点の検証が必要だと思う。しかし、投票率を上げるという意味においても、若いさわやかな政治家をもっと多くするという意味においても、日本の政治を改革するという意味においても、小選挙区になって政策を中心に闘わなければいけないという時代になっているということからも考えても、これは絶対に今リバイバルしなければいけない。法案を敢えて出せというならわれわれで出してもいいし、いろいろ知恵を借りてもいいと思う。私がいったような問題が案外現実的にはいろいろなところに出てくるということを指摘しておきたい。

山田:
新聞社に勤めているが、浦安の一住民として発言させていただく。実は浦安市は、市長が8期やっていて、8期の途中で病気になり、選挙が去年あった。浦安市は、東京の近くの新住民が多いところで、以前からもう少しモダンな市政にならないかという声がくすぶっていた。選挙には全員新人が出てきた。それで、前の市政をどう考えているのか、その人たちがどんなことをやろうとしているのかともかく聞きたい、という声があがった。私もお手伝いして、小田さんのなさっている地球市民会議にノウハウをもらいにいって討論会を開いた。一回目は告示の前にやって、二回目は、選挙期間中にやった。市の選挙課は非常に頭が固くて絶対に認められないと言ったが、われわれの仲間に、朝日新聞の田岡という有名な記者がいて、彼はそういう法律に非常に詳しい。それで、市の選挙課の課長の目の前で自治省に電話をかけて、自治省にそれはいいということを言わせて、選挙期間中に演説会をもう一回やった。1回目の討論会は大変な盛況になった。そうしたら本命と見られていた少し年配の保守系の候補者が、二回目は出席したくないと言って、結果的には二度目にはその方だけがお見えにならなかった。結局当選したのは、公認ではないが、自民党籍を持った若い方だった。この方は公開討論で筋を通して自分の意見を述べた。その方が当選されて、当選後の第一声に、これからの浦安市政は情報公開と公開討論による行政をしていくと言われたのがわれわれとしては、非常に印象的だった。今はほとんどの人たちが無党派になっている。だから、昔だったら動員がかかったが、今ほとんどそういうものがない。だから、誰に投票するかは、人柄とか、公開討論会の時の顔つきとか、相手に言われたときの表情とか、そういうのが大事な要素になっている。今、非常に市民の参加意識や関心が高まっている。むしろ、ジャーナリストの関心が低い。われわれが一生懸命資料、趣旨を書いて記者クラブに持っていったが十分機能しなかった。市民の方が非常に賢く、ジャーナリズムとか政治をやっている人たちと同じあるいは、それより優れた人もたくさんいる。そういう中で、公開討論会を開く動きは非常に大きなポテンシャルのある運動である。

古川元久(衆・民主党):
私も基本的には、公開討論会をやるべきだと思っている。ただ河野さんが言ったような問題もある。日本の政治をどう変えていくかは公開討論会だけではだめで、これは小田さんが一番よくわかっていらっしゃると思うが、公開討論会は一つのツールでしかない。政党のあり方などを一緒に考えていって変えていかないといけないと思う。小選挙区制の衆議院選挙は何を選ぶ選挙かというと、もちろん一つは河村さんが言ったように選挙区で自分たちの代表の人を選ぶということもあるが、究極的には政治を選ぶ選挙である。自分の一票で、間接的にどういう政策をやってくれる総理大臣を選ぶ。そういう形にして初めて、選挙をやったことによって政治が変わったという意識を持てると思う。私は以前大蔵省にいた。それを出て選挙やった時に、政府案として出した消費税法案を、与党の自民党の議員が選挙区では消費税を廃止するとか凍結するという話をしている。政治に対する信頼感を失わせたのは、選挙の時にはそう言って、当選すると、自分は反対だが党議拘束があるという理由で消費税法案には賛成をして、法案を通すこと。私はそういった意味では政党の党議拘束も外すべきだと思っている。与党、政権党が出してくる法案については当然選挙のときに言わなければいけないのに、選挙の時には全く違うことをいう。今の状況の中で解散総選挙があると、自民党の議員の多くは介護保険なんて反対だ、あんなものは凍結してしまえとか言い出すと、私は思う。選挙によってそれまでの政権がやってきた業績を判断するという観点からすれば、自分達が与党で通したことについて、選挙の時にあんなものはおかしいんだ反対だということを言うのは有権者に対する背信行為だと思う。そういった意味では、政治家個人の認識も問われるし、政党のあり方というのも問われる。やはり三位一体で考えていかなければいけない。ただ同時に、選挙は個人を選ぶという側面もあるので、実際に公開討論会をやって話をする中で、いろいろな面で判断できるところもあると思う。また、これからの政治家というのは国会の中でディベートができる、政策を論じることができるような人でないといけない。私も、自分の選挙区で闘っている人と一回も一対一で政策的な話をする機会が作れない。それでは今度の選挙の時にどちらを選んでくださいということを言えない。だから、他の要素で比較していただかなくてはいけなくなってしまう。そういった意味で同じ土俵にたてる場というのはぜひとも作っていくべきだと思うので、先程石井先生からも話がありましたが、自民党の河野さんにも入っていただいて、是非、超党派でやれればいいと思う。

原口一博(衆・民主党):
加藤さんや小田さんを始めみなさんがなさってることは本当に私たちにとってもありがたいことである。最初はこんなことできるのだろうかとみんなが思っていたと思う。しかし、たくさんの方々が党派の枠を超えて参加する場をもらったこと、これは一番大きなことだと思う。今国会でも政策評価の議論をしているが、いくつかの部分でやはり選択肢を示すべき時に来ていると思う。国会議員になって役所の方と話をして驚いたのは、選択肢を持ってこないことである。落とし所が来る。結論がくる。政治判断が含まった材料が政治家のもとにくる。これはおかしなことだろう。中央官庁の皆さんも選択肢を私たちに示し、その材料を示すべきだ。それと同じように私たち政治家も国民のみなさんに、選択肢をいくつかのステージでわかりやすく示す必要がある。それを公開討論の場でつめていく。これが大事なのではないか。いくつかのステージ、例えば、理念や国の戦略レベルのステージがあると思う。もう一つは、それを具現化するための政策レベルの評価がある。あるいは業績レベルの評価、この3つのレベルで、しっかりと違いをきわだたせていく。そして、その契約がどのように守られたのか、守られていないのかを検証する場が必要であると思う。河野さんが先程お話になったように、基本的に国会議員が詐欺師だとは思わないが、政党というものを鍛えないといけない。政党が全く意味をなさなくなっている。政党は最初は権力から弾圧をされ、弾圧しきれなくなって無視される、無視の後に承認になる、承認の後に憲法の中に移入されるんだということを学校で教わった。今は権力側からの無視の後に逆に国民からは蔑視の対象になってしまっている。これをどうにかしないといけない。先程河野さんがおっしゃったようにいくら個々人の議員の政策を並べてみてもだめだろう。それを実現する政党が離合集散したり、中には解党するところまである。実際に政党がなくなった人は、国会議員としての身分をなくすということも必要だと思う。国民とどういう契約をするかを公開討論の中でしっかりと詰めていく。私は、党首レベルでの討論、個々の選挙区での討論など、小田さんたちの活動の場が広がっていると思う。法案として私たちがやらなければならないことはたくさんあるので、是非一緒に行動をさせていただきたいと思っている。是非がんばってください。

すぎやま:
党議拘束をはずしてしまえというご意見は、政策で党を選び、投票したいという選挙民からすると、とても困る。選びようがなくなる。だから、自分の考えとその党の政策とが違う場合は、党議拘束をはずしてしまえというのではなくて、立候補する党を変わっていただいた方が私たち選挙民としてはやりやすいと思う。

大谷:
もう会社をやめて大学で非常勤講師をやっている。私は20年くらい市民活動をやっている。もう3年くらい前になるが、都議選の時に、公開討論会に近いものを一度組んでみた。その時に、都の選挙管理委員会に問い合わせをしたら、是非やってください、と言った。都の選管も投票率を非常に気にしていて、あまり都議選は都民の熱があがらないという予測があったので、やってくれと、いうことだった。それで、仲間と一緒に、候補者に声をかけた。4人の候補者がいたが、一人だけ突然欠席された。その方は落選した。公示前であろうと公示後であろうと、やはりわれわれはもっと選択の余地が欲しい。それから残念ながら都知事選では、公示前にはテレビにたくさんの露出があったが公示後にはなくなってしまった。テレビ討論で、われわれはいろいろな面でどの候補者がどういうことを言っているとか、前回と今回では大分違ったことを言っているとか、そういう観察もできた。また、話のし方とか、プレゼンテーションのうまいへたもわかった。テレビの役割は非常に大きい。泡沫候補者の問題、地方の選挙の場合のテレビ放映の問題などいろいろあるが、公示後もテレビ討論をしてほしい。

小田:
河野さん、是非自民党の中でもこのことを議論していただきたいと思う。先程イギリスの例をおっしゃったが、私もイギリスの選挙を見た。フロントで党首と野党の党首が議論する。しかし、選挙の時は選挙の時できちんと労働党、保守党は地域で公開討論会をやっていると思う。僕は、それぞれの方が現場で意見を闘わせるというのが非常に大事なことだという気がする。経験則として申し上げると、保守系の方の中に、共産党などの試みではないかとあらぬ嫌疑をかける方がいる。公開討論会に出ると保守系の方も、きちんとしているとみなさん大体おっしゃる。先程石井さんもおっしゃっていたが、昔立会演説会が失敗したからと言っても、昔は昔。今はかなりの確率で五百人千人もの人が集まっている。だから自民党の中でも見ていただきたい。去年の参議院選挙の時に自民党の候補者は欠席し民主党とか共産党等の候補者で公開討論会が開かれたところでは、自民党の候補者の当選率は、われわれが調べたら40%だった。しかし、自民党の中にも公開討論会に出席した方が10数人いらっしゃったが、その方々の当選率は83%だった。だから、公開討論会はけっして保守系に不利というわけではない。だから、これは私の個人的なお願いだが、是非今度の衆議院選挙の時の公開討論会では、自民党の方も出席していただきたい。そして、それぞれの党の候補者が私たちはこうだ、ということを伝えていただいて、有権者に選んでいただけたらと思う。河野先生、是非よろしくお願いしたい。

河野:
自民党の代議士の多くは無党派票をとれない。既存の組織に依存してしまっている政治家が多いので、そういうところへ出ていくのが非常に怖いし、出ていってもおそらくアピールできないだろうと考え、だったらやめてしまえと。おそらく出ていったその10数人は自民党の中でも、そういうところにアピールができるような人で、だから当選率も高い。当選率は公開討論会に出る出ないに左右されるのではない。昔の自民党のグループと新しい自民党のグループを比べれば、新しいグループの方が当選率が高いのは明らかである。あまり自民党が来る来ないにこだわらなくていい。ご招待をしたけれども来なかったと言えばいい。欠席するのもその人のメッセージだからいいと思う。小選挙区制ではだんだん無党派にアピールする人間でなければ当選しなくなるから。あまり気にしなくて、どんどんおやりになってもいい。自民党の中で議論をするのはほとんど体質的に無理。

福山哲郎(参・民主党):
私は、公開討論会に出させていただいて、当選させていただいたと思う。公開討論会といっても今のシステムでは候補者が丁々発止やりあうというような状況にはなっていない。基本的には与えられた時間、例えば、15分間に決められたこと、自分のことを言う。自由質問としては、京都では、番号の書いてあるボールを箱の中から探って、その番号の質問に答えるという形式だった。奥さんと今どこかへいくとしたらどこへ行きたいですかとか、そんな質問もあった。基本的には候補者との間の相互のやりとりはなかった。だから私としては、実は非常に物足りなく感じた。技術的に改良の余地があると思う。また、自民党の新人の候補者が出席しなかったので、その分地元のマスコミのペンが鈍った。
それからもう一点、任意の団体や任意の人が集まって実行委員会をするという方式は、非常に中立性があっていいと思う。しかし、逆にその任意の方の地域での影響力とか、誰が実行委員をやっているかによって動員の力が全く違う。例えば、山田さんのような方がやりましょうって言えば、集まる。誰が旗を振るかによって公開討論会の意味合いがずいぶん変わってくるから、それは今後検討の余地があると思う。
私は、議員内閣制だから政党を否定してはいけないし、党議拘束もあるのは前提としてしかたないと思うが、その政党に対する不信感が高まっている。だから、有権者のホンネとしては政党は今信用出来ないから、結局候補者個人を見なければいけないと思っている。しかし、政党政治として、政党交付金もある。小選挙区だから政党がしっかりやらなければいけないという制度上の問題と、有権者が政党に対する不信感を持っているために候補者自身を見るという問題の間にギャップが広がっているのが現状だと思う。そのギャップを補完的に埋める一つのツールとして、公開討論会は大変意義があると私は思っている。私も是非協力をさせていただきたい。

小沢さきひと(衆・民主党):
まず第一点は、小田さんたちの主催ではなかったが、私も地元のJCや任意の団体が開催した討論会に二回ほど出席したことがある。私自身出席して非常に楽しかったし、また聞きにきていただいた有権者の方からも選択の基準になったという意見があった。今あまり政治が国民のみなさんに受け入れられていないのは我々としては大変困った状態だと思っているが、そういった意味で政治を活性化していく、刺激を国民のみなさんにも与えていくという点で、、おおいに公開討論会をやっていただきたい。
しかしながら、どうしてもマスコミや有識者受けする政策になりがちである。有権者にとっては税金は安けりゃ安い方がいいし、福祉サービスの水準は高ければ高い方がいい。私も、討論会の中でこう言えば、こう受けるだろうと思いながら話した。すると、少し気のきいた人間だと思ってしまうところがある。だから、有識者の専門性でそれを補完するような仕組みというものがないと、人気ゲームになってしまう。例えば、消費税を3%にして福祉サービスを向上させるというのは整合性がないなどと指摘しないといけない。これが二点目である。
それから三点目は、一般の国民の皆さんたちに誤解があるのは、アメリカ型のいわゆる大統領制の民主主義と、イギリス型の議員内閣制の民主主義というのが戦後混在しているからである。例えば、同じ二大政党でも、アメリカ型の大統領制の下における二大政党には基本的に与党と野党というのはない。大統領を出しているのは民主党だが、いわゆる議院内閣制のような与党、、内閣を構成するものはない。だから、各個人がクロスボーティングすることもありうる。日本の場合には一応議院内閣制をとっているので、与党は内閣を構成し、そして行政をリードする。しかし、リードできないので悲劇が起こっている。大統領制と議員内閣制の区別をしっかりしないと、判断する時に間違ってしまう可能性がある。日本は今の選挙制度あるいは憲法を変えない限り、議院内閣制度の中で、最大限の改善は何か、を考える視点が必要だと思う。以上三点申し上げる。

花岡(産経新聞):
メディアの立場から一言言わせていただく。東京都知事選挙で告示前まではテレビで有力候補6人のディベート番組が毎週のように行われた。大体5回、5週ぐらい行われた。それが告示後になってぱたっと行われなくなった。これは一体なんなんだと。悪いのは、公選法の規定もさることながら、実は一番の悪者は郵政省である。新聞の場合は、有力六候補という形で絞りこんで報道、評論ができる。しかし、テレビの場合は、電波を認可してもらって、放送している。国によって許認可権を握られている存在である。新聞記者の立場でテレビを擁護していても始まらないが、テレビは非常に弱い立場にある。そこで、報道・評論の自由という問題がでてくるのだと思う。新聞はどこの官庁からも制約を受けない、独立した存在である。これは一世紀かかって作りあげた、言ってみれば新聞の権限。しかし、テレビは郵政省のさじかげんで動かざるをえない。だから、そこのところにどうやって風穴を開けるか、報道・評論の自由をテレビの世界にもどこまで広げていくか。それが解決できると、泡沫候補者の問題もなくなる。なぜ有力候補6人だけをテレビが放映してはいけないのか。これはアメリカ流のメディアの自由をどんどんつきつめていけば可能なはずである。また、これから多チャンネル化の時代を迎えるので、あるチャンネルではある候補だけ、6候補だけを徹底してやるという選択を、テレビの側がしてもなんの問題も起きないという時代が必ずくるだろうと思う。これは、報道・評論の自由ということと非常に大きく関わってくる。
実はもう一つ今回の選挙で、われわれが関わった問題は、事前の世論調査の生数字を出したことに対して、自民党の森幹事長以下けしからんと怒り、規制を強化すると言った。それで、われわれサイドと大分ぎくしゃくした。その問題と合わせて、公開討論会、テレビ討論の問題には、報道・評論の自由、というわれわれの側からいっても非常に大きなテーマがからんでいるということをご認識いただきたい。

屋山:
もう今の時代、公開討論をやって反射神経や勘のいい人が当選するのは当たり前。例えばイタリアだったら大平さんみたいな人は絶対当選しないと思う。昔、イタリアで党首の演説を聞いたことがある。大体5、60%しかわからないのだが、聞いているうちに酔ってくる。雄弁術は政治家に必要なんだとつくづく思った。私は広場で演説するのとテレビで話すのとずいぶん違うと思うが、それにしても、無口な政治家は結局消えていくだろう。河野さんもおっしゃったように、そういう人は業界の票ばかり取っているので、そのうち消えていくだろう。
それから、私はこの間すぎやまこういちさんといっしょに、都知事選における「TV討論会の開催を求める会」呼びかけ人の一人になった。そのときは不便だなというぐらいの動機で賛同したが、今日皆さんのお話を伺って、非常に得るところがあった。面白かった。是非この運動に真剣に取り組みたいと思った。

長谷川:
私は都知事選やその他いくつかの公開討論会開催に関わってきた。都知事選では裏方で一生懸命させていただいた。その時多くの人たちが一番訴えたかったことは、自分の目で候補者を見て、声をじかに聞いて欲しいということ。政策も大事である。その政策もテレビのようではなくて、きっちりちゃんと最後まで言って欲しい。テレビだと途中でばっととられてしまう。そうではなくて、最後まで聞きたい。テレビとは違うというのが都知事選の公開討論会に参加した800人の人たちの感想である。現実に自分で候補者を見じかに声を聞いていろいろなことが見えてきたということを、私はここにいらっしゃる先生方に是非知っていただきたい。先程屋山先生が話のうまいやつが選ばれるとおっしゃった。あえて反論を申すと、絶対そうではないと思う。今まで、話がうまくなくても心打つ候補者がたくさんいた。私たちは完全中立だが、候補者の中に信頼に耐えうる人たちがいたら、真剣にサポートしたい。その候補者の言葉が足りなかったら言葉を、組織が足りなかったら組織を作ってあげようと動くのが、一般の市民だろうと私は思っている。リンカーンが演説した時、大演説をされた方があって、その翌日の新聞はすべてその人の記事が書かれていた。リンカーンのことはたった一紙が小さい記事を載せただけだった。その言葉が、人民の人民による人民のための人民の政治。その全文はわれわれが今ありがたいと思うような言葉だと思う。有権者は捨てたものではない。しっかりやっていきたいと思う。

山城:
私は自民党を支援しているというような立場にいるのだが、一つだけお聞きしたいことがある。公開討論会は中味があって非常にいいものだと思う。ただ、放送の時間の枠を法律で定めるとなると、全国のチャンネルなのかローカル局なのか、NHKだけなのか、民放もやるのか、民法もやるとしたらスポンサーの収益がどう見合うようになるのかなど、難しい面がある。だから、こういう放送を是非やりたいという民放が、あるいは衛星チャンネルが、自主的に取り組むのが本当は望ましいと思う。他の諸国では枠を取って放送しなさいということは法律で定めているのか、教えてほしい。

蒲島:
一番討論会が盛んなのはアメリカである。法律で規定しているのではなく、候補者が合意によってやっている。時々、一方だけが合意して、一方だけがやりたくないということもある。たいてい現職の方がやりたがらない。チャレンジャーの方がやりたがる。でも今は、やらないということがネガティブキャンペーンの的になるので、やらざるをえない。テレビ局が放送を決めると思うが、実際に主催するのは、リンカーンフォーラムと同じような一種のボランティア団体。その団体が、ある場所でこういう形で討論を行うというと、それに対して放映するというのが現状で、法律でこうしなければならないというのはない。おそらくリンカーンフォーラムあるいは加藤さんたちが考えている法改正も、法律で放映する枠を決めるのではなくて、放映ができるという枠組みを作ることだと思う。先程から、我々有権者がどういう形で投票するのか、あるいは投票すべきか、という話が出た。河野さんは人格ではなくて政策で投票するべきだと。実は候補者がどのように思うかではなく、有権者がどのように投票するか、ということで変わってくると思う。有権者は3つのレベルで投票する。争点であるとか、政党であるとか、でも一番大きな点は人格。言葉が上手とか、どんなきれいな政策を言ってもだめで、人格に体現されるその人の方向性であるとか、争点に対する対応であるとか、あるいは将来政党のリーダーになりうるだろうか、ということを有権者は見ていると思う。ここにいらっしゃる代議士の方々、あるいは参議院議員の方々は、おそらくもともと優れたセンスをお持ちだから、テレビ討論会に向いていらっしゃる方だと思う。話を聞いていても、とてもすばらしいお話だし、プレゼンテーションである。そういうことは必要だと思う。テレビ討論に向いた政治家がでてくる、あるいは新しい時代にマッチした人たちが政治の舞台にでてくる必要がある。それに対応できない人たちはこれから対処していかなければいけないだろう。対処することが変化を作っていくことだと思う。

小田:
TV討論について現実をいうと、最初のうち、やりたいと思ってもなかなかできなかった。ただ、それでも、いろいろな法律上の問題をクリアしながら、長崎県知事選の時に長崎文化放送でやった。問題は起きなかった。それからいくつかやった。この間の愛媛の県知事選では4つの局が放送した。1局は生中継で2時間やった。あとの3局はその日の夜12時から2時までの間、そのまま放送した。この間の札幌市長選では10回、公開討論会がテレビで流された。だから、法律で枠を取るというよりも、テレビで放送しても罰せられないということが必要だと思う。

山城:
枠を作ってしまうのかと誤解していた。失礼しました。

加藤:
この辺で終りたいと思う。選挙というのは、最も市場原理に合うしくみであると思う。放送局には、市場側がその討論会を求めるか、テレビを見るか、という問題が常にある。もっとおもしろいドラマがあるとそちらを見てしまう、という面もあると思う。しかし、これは結局鶏と卵だと思う。だからどちらかが始めなければならない。始めないといけない時に、公選法に非常に大きいネックがあるわけだから、まず、そこは解消していくべきである。164条の3の1項、2項、それからテレビ放送に関していえば、150条の3という項を例えば付け加える。これがパーフェクトかどうかはわからない。しかし、とりあえず非常に単純なことで、非常に大きなことができるということはまちがいない。先程、石井さんのお話にもあったが、ぜひ、これが制度化できるように、引き続き進めていきたい。これはあくまでも国会議員が主役なので、ぜひよろしくお願いします。今日は結果的に、最後に残られたのは、民主党の方が多いが、本当は超党派でやっていきたい。党議拘束とか、法案を出すときの党のしくみが問題になるが。今日は名簿に書いていただいたので、その法案を進める議員連盟のメンバーになったというふうに勝手に思わせていただきたい。
6月15日に、非常にこの内容と関わっていることだが、国会機能強化に関するディスカッションを行う。国会機能強化は実は構想日本でも2年前からやっている話である。柱は政府委員の廃止と副大臣制だったが、この2つが今実現に向かって動きはじめている。しかし、この2つだけではだめである。政府委員を廃止して国会議員だけでやってくれということになると、ますます完璧な答弁者の棒読みばかりになったりする可能性がある。だから、例えば、自由討議、言質をとらない時間を作る。また、野党にとっては応じにくい話かもしれないが、予算委員会の全閣僚出席義務をはずす、など。これは全部、国会法でも何でもない慣例である。更にいえば、委員会開催も大臣が出る必要がないのではないか。こういうことをやっていきたいと思う。また、これは、国会議員が主役だが、主役の方が嫌がることも多い。マスコミの方にもお願いしたいが、こういうものを出そうと思っても、政治部の人はそんな世界だと思っているので、なかなかその議論に乗っていただけない。是非こういうことも世の中全体で議論できるようにやっていきたいと思っていますので、よろしくお願いします。ありがとうございました。



公職選挙法一覧へ戻る